障がい越え、三線グランプリ 親子同時受賞、努力で道開く


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障がいがありながら三線のグランプリを受賞した金城秀人さん(中央)と母の艶子さん(左)、指導に当たっている金城法恵さん=6月21日、豊見城市高安

 【豊見城】障がいを乗り越えて親子で三線のグランプリを受賞-。豊見城市の金城秀人さん(37)は1998年に交通事故に遭い高次脳機能障害を負いながら、今年5月に琉球民謡伝統協会のコンクールでグランプリを受賞した。秀人さんと一緒に三線を始めた母親の艶子さん(62)も同時にグランプリを受賞。秀人さんは「障がいがあっても、頑張って乗り越えれば新しい人生が開ける」とくじけない心の大切さを語った。

 秀人さんは高校卒業後、バイク事故で意識不明の重体となり、1カ月半意識が戻らなかった。その後奇跡的に回復したが、記憶が長く続かないなどの症状がある高次脳機能障害を負った。高校時代にギターをやっていた経験から、リハビリの一環として2002年に三線を始めた。

 当初は地域の三線クラブに通っていたが、08年から高校の後輩で三線教室を開いている金城法恵さん(34)の指導を受け始め、本格的に取り組んだ。記憶に関わる障がいがあるため、曲を覚えるのにも時間がかかったが、毎日の練習を欠かさず努力を重ねた。

 琉球民謡伝統協会のコンクールは新人賞、優秀賞、最高賞、教師、グランプリ、グランプリダイヤモンドの六つの部門があり、秀人さんが受賞したグランプリは上から二つ目になる。

 法恵さんは「秀人さんが頑張る姿が周りに刺激を与えられると思い、出場を勧めた。周りがしない努力を重ねてきたことが結果につながった」と振り返る。艶子さんは「協会の皆さんが温かく支えてくれた。秀人の頑張りが周囲の人を励ますことにつながるならうれしい」と目を細めた。

 秀人さんは「3本の弦が奏でる素晴らしい言葉、三線があるから自分の人生は羽ばたける。法恵先生のおかげでここまで上達できた。これからも皆さんと共に歩んでいけたら光栄だ」と、さらなる高みに向けて努力する決意を語った。