中根章さん死去 県議会元副議長 平和、環境運動に尽力 84歳


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中根章さん

 県議会副議長を務めた中根章(なかね・あきら)氏が15日午前6時31分、病気のため、北中城村内の病院で死去した。84歳。旧越来村(現沖縄市)出身。告別式は17日午後1時から2時、うるま市具志川1508の具志川葬祭場で。喪主は妻敏子さん。

 中頭郡青年団協議会元会長で、1970年代初頭には米軍キャンプ・ハンセンの県道104号越え実弾射撃演習に現場で抗議するなど平和運動家として活動した。コザ市議を経て、72年の日本復帰後の第1期県議選で当選。計5期務めた。94年12月から96年6月まで副議長。74年に比謝川の環境浄化に取り組む「比謝川をそ生させる会」を結成。2002年には会の取り組みが評価され、日本水大賞の厚労大臣賞を受賞した。

◆「沖縄愛した人」家族、友人ら惜しむ

 戦後沖縄の大衆運動を引っ張った中根章さんが亡くなった。中根さんを知る人々は「沖縄を愛した人だった」「残念だ」と声を落とした。沖縄市上地の自宅には15日、旧友や親類らが次々に訪れた。弔問客らはひつぎに納められた中根さんに手を合わせ、涙を流して別れを惜しんだ。

 長女の山代みゆきさん(58)は「父は沖縄の文化や自然、民謡を愛し、戦争を許さない姿勢を貫いた。小さい頃は父が政治家で、学校でからかわれたが、大きくなるにつれて沖縄を良くしようとする父を尊敬した」と振り返った。

 中根さんが結成した「比謝川をそ生させる会」で活動した真栄城玄徳さん(74)は「情熱を傾けていた。沖縄で環境問題に取り組んだ最初の人だと思う」と功績を語る。同会を1974年の新年号で報じた元琉球新報社長の比嘉辰博さん(76)は「晩年まで活動を続けた。言葉だけでなく行動する政治家だった」と話した。

 30年来の付き合いがあった元ラジオ沖縄事業部長の山本勇さん(68)=宜野湾市=は「豪放磊落(らいらく)な人。肝っ玉が大きく『小さなことにこだわるな』とよく言われた」と振り返った。