<未来に伝える沖縄戦>飢えに泣いた2歳の妹 城間恒人さん(76)〈下〉


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「平和な世になってほしい」と願う城間恒人さん=17日、琉球新報中部支社

 〈米軍の空襲や艦砲射撃がやまない中、城間さん一家はヤギ小屋を見つけ、そこで数日間過ごします〉

 現糸満市の米須方面で見つけた小さなヤギ小屋にじっと隠れていましたが、爆撃で小屋が破壊されてしまい、命からがら逃げ出しました。全員生きていたものの、父の左耳はえぐり取られました。父は激痛に耐えながら歩きました。

 来た道を戻るか、別の道を行くか思案しながら大里村へ向け、歩きました。幸運なことに以前世話になっていた医者と会えました。すぐに父のけがを治療してもらい、糸満の伊原の医者の自宅に一緒に向かいました。医者の家には、負傷した日本兵など40人近くがいました。私たちはそこで約2週間とどまりました。

 父と兄が水くみに出掛けた日のことでした。妹の冴子が泣き始めたのです。妹は、そばにあった米のとぎ汁が入った鍋を指さしました。2歳の妹は、空腹や喉の渇きに耐えられなかったのでしょう。すると、日本兵が「泣くな」と母の腕の中にいた妹を奪い取り、首を締めました。母も姉も、幼かった私も見ていることしかできませんでした。日本兵に逆らうことなんてできませんでした。妹は、みるみると静かになっていきました。母は、冷たくなった妹を拾い上げそっと抱きしめました。

※続きは7月24日付紙面をご覧ください。