全島移住は利権目的 硫黄鳥島の歴史見直し ジャーナリスト桂さん新説


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 沖縄県北端の火山島、硫黄鳥島(久米島町)について長年調査をしてきたジャーナリストの桂博史さん(63)=東京都=が、通説となってきた島の歴史を修正する成果をこのほどまとめた。桂さんによると、硫黄鳥島の高品質の硫黄は明代以降の中国において非常に価値が高く、単なる貢納品の一つではなく、琉球王国成立の経済的基盤であった。また、大半の住民が久米島に移住した1904(明治37)年の「全島移住」は、噴火を口実に、王国体制下の鉱業から資本主義体制下の利権へと転換する「鳥島処分」というべきものだった。昨年、九州大学に本部を置く学術団体日本鉱業史研究会で発表した。

  桂博史さん

 桂さんは、鉱業史の視点から琉球王国時代の史料を検証したほか、近現代の新資料も発掘し、関係者多数から聞き取りを行った。取材は沖縄にとどまらず、北海道、青森県、台湾・中国にも及び、戦後の無人島化前の東北地方出身者らによる鉱山再興の努力や、台湾関係者に鉱業権が移った経緯などを明らかにした。

 明代以降の中国が国外から毎年のように大量の鉱物資源を持ち込んだ例は琉球の硫黄以外になく、琉球が他国より尊重されたのは硫黄があったからだった。また、日本で鉱業的な生産が行われるよりはるかに古くから、中国(明代以後)の技術で精練を行っていた。

 明治の「全島移住」は火山噴火のためとされてきたが、硫黄鳥島の噴火を調査した軍艦高千穂の報告書などを分析し、住民を避難させた時は既に噴火は落ち着いていたことが分かった。久米島への移住は、「旧慣」を廃止するために演出されたものだった。

 さらに、1940年から60年ごろにかけて、戦争と米軍政に翻弄(ほんろう)されながら鉱山再興を目指し孤軍奮闘した青森県出身の滝沢喜代治(1906~73年)が残した詳細な記録を発見し、当時の技術や住民の生活ぶりを明らかにした。