第6回世界のウチナーンチュ大会実行委員会は12日、第4回実行委を那覇市のホテルで開き、大会最終日の10月30日を「世界のウチナーンチュの日」に制定する議案を承認した。移民の発着に関する歴史的な日は特定の国や地域に印象が偏る心配があるため、世界のウチナーンチュが集まる大会の最終日にした。大会期間中の海外県人会長らによる会合で報告した後、大会長の翁長雄志知事がグランドフィナーレで制定を宣言する。
制定は世界のウチナーンチュが築き上げたネットワークを継承・発展させていくことが目的。毎年、県内や海外でこの日の前後に記念行事を行うことで、伝統文化を次世代へつないでいく。
「世界のウチナーンチュの日」の制定に当たり、大会事務局が海外県人会長や市町村、国際交流団体、実行委員らを対象にアンケート調査を行ったところ、10月30日がふさわしいとする回答が52%で最も多かった。最初の県系移民がハワイに向けて出発した12月5日は24%、同移民がハワイに到着した1月8日は11%、ブラジルへの日系移民がサントス港に到着した6月18日(内閣府制定海外移住の日)は9%だった。
「世界のウチナーンチュの日」制定を最初に働き掛けた名護市の比嘉・アンドレス・オスカルさん(41)=3世、アルゼンチン出身=と伊佐正・アンドレスさん(26)=3世、ペルー出身=は「ウチナーのカレンダーに喜ばしい日ができてうれしい」と制定を喜んだ。
比嘉さんと伊佐さんが「世界のウチナーンチュの日」の制定を働き掛けたのは「独立記念日など、海外には国を挙げて祝う日があるのに、沖縄にはない」と考えたからだ。来沖前は日本復帰の5月15日が祝いの日に当たると思っていたが、全く違う様子に衝撃を受けた。比嘉さんは「今も(占領下の)影響が残り、微妙な日になってしまっている」と、ウチナーンチュの複雑な思いを推し量る。
2人は「世界のウチナーンチュ大会は他府県でまねできない。ウチナーンチュの誇りを感じられる日ができれば、世界各国で祝える」と名護市議会に陳情。その思いは県民に広がり、名護市の採択から3カ月足らずで制定が決まった。伊佐さんは「2、3年かかると思っていたのでびっくりした。世界のウチナーンチュの心が一つになる日にしたい」とスピード制定を喜んだ。