52年ぶり再会 絆今も 復帰前、関西に招待 本紙記事で消息たどる


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1964年の旅行の写真を見ながら思い出を振り返る大地淳司さん(左)と儀間盛徳さん=8月上旬、恩納村内のホテル

 1964年3月に、2週間共に関西を回った大地淳司さん(74)=兵庫県神戸市=と当時コザ中2年だった儀間盛徳さん(66)=沖縄市=が8月上旬、恩納村内のホテルで52年ぶりに再会を果たした。当時甲南大(兵庫県)3年生だった大地さんは、県外へ出るのにパスポートが必要な沖縄の現状を「大変そうだ」と感じ、友人らと資金を集めて儀間さんら県内の中学生2人を関西に招いた。儀間さんは旅行中に見た寺や史跡に日本の文化を感じ、その影響で後に国語科の教師になったことを報告。「あの旅行がなければ今の自分はいない」と感謝し、思い出話に花を咲かせた。

 太平洋戦争後の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約発効で沖縄が本土から切り離された。大地さんは「戦中も戦後も、沖縄は大変だった。あの時は政府が人を引き裂いたが、民間レベルでは交流を通してつながることができた」と話し、儀間さんとの交流で生まれた沖縄への思いや絆の強さを強調した。

1964年4月10日付の琉球新報に掲載された、関西旅行後の儀間盛徳さんインタビュー記事

 再会のきっかけは大地さんの沖縄旅行。「きっと素晴らしい人になっているだろう。旅行中に再会したい」。大地さんは、64年当時儀間さんらの関西訪問を報じた琉球新報を通じて消息をたどり、連絡を取ることに成功した。

 64年の関西旅行では京都、大阪、奈良、神戸を回った。儀間さんは「日本の文化に憧れを感じ、またそれを伝えたくて国語の教師になった。あの旅行がなければ今の私はいない」と振り返った。

 大地さんは大学卒業後、東京の会社に就職。儀間さんは米統治下からの復帰運動に積極的に参加した。70年には地元沖縄市で勃発したコザ騒動の現場に居合わせた。「共に復帰運動している人の中には本土を悪く言う人も多かった。心が引き裂かれる思いだった」と顔をゆがめた。

 2人はひとしきり52年分の歴史を振り返った後、連絡先と住所を交換した。「次はぜひ兵庫で会いたい」と大地さんが水を向けると、儀間さんは「今度は自分で旅行費を出します」と笑い、固い握手を交わした。(嘉数陽)