<「県外移設」という問い>1 松本亜季(引き取る行動・大阪)


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まず沖縄差別解消を/日米安保、身近に考える
 7月12日、大阪で開かれた集会で、沖縄の米軍基地を大阪に引き取ることが議論された(本紙7月13、16日付)。6月には高橋哲哉著「沖縄の米軍基地 『県外移設』を考える」(集英社新書)が発刊された。沖縄の「県外移設」要求に「本土」の側の正面からの応答が始まった。「県外移設」を問う時、「日本国民」の圧倒的多数が日米安保を支持していることに向き合わざるを得ない。運動の当事者、識者に論じてもらう。

松本亜季(引き取る行動・大阪)

 「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動(引き取る行動・大阪)」は、2015年の3月に立ち上がり、その名の通り、沖縄の米軍基地を大阪に引き取るために、候補地の選定や、引き取る上での課題や方向性の確認、またこの活動を広げるための学習会などの企画をしています。

 私自身、この行動を始めるまで、大阪で約10年にわたって辺野古の基地建設を止めるための活動を続けてきました。「引き取る行動・大阪」を始めてからも、今、辺野古で行われている基地建設のための工事を何とか止めなければならないという思いは変わりません。ただ、辺野古を取り巻く根源的な問題は何なのかということを考えた時に、これまでの「辺野古にもどこにも基地はいらない」というスローガンでは超えられない課題があると感じています。「基地を引き取る」という過程の中に本当の意味での解決を見出せるのではないかと感じています。

平和運動のイベントで、同縮尺の大阪府地図と辺野古の基地計画案を示し、基地移転を考えてもらうコーナー=1日、大阪国際交流センター

11年前に聞いた声

 11年ほど前、「基地を持って帰ってほしい。引き取ってほしい」という沖縄からの声を初めて聞いた時は、とても驚き、到底受け入れられるものではないと思いました。当時の私は、沖縄の現状を考えた時に、この声を無視することはできないと思いながらも“多くの人の賛同を得られるものではない”“基地の存在を認めることになり、「戦争反対」という理念に逆行するものである”などと考えていたと思います。

 ただ、この声が頭から離れず、強い印象をもって意識にのぼってくるようになるのは、日本の沖縄への差別的な政策が次から次へと露呈されていく過程、さらに言うと沖縄の抵抗が高まっていく過程があったからです。

 自身の10年間の行動を振り返り、立ち止まらざるを得ませんでした。私たちは何を思い、何を訴えてきたのか、それはきちんと社会に届いていたのだろうか。

 この時、私があらためて確認したのは、大阪で行動を始めた時の思いでした。私が訴えたかったこととは、「反戦平和」のための「基地はどこにもいらない」ではなく、沖縄への差別をやめたい、沖縄と日本の関係を少しでも変えたいという視点からの「辺野古の基地建設反対」であったということを強く意識しました。その視点に立った時、ずっと避け続けてきた「基地を引き取ってほしい」という訴えに真摯(しんし)に向き合わなければ、もうどうしようもないという気持ちに立たされました。

 そして、大阪で一緒にやってきたメンバーを始め、いろんな人と議論を重ねました。そこでいろんな指摘を受けました。主には、「基地を認めることになる」「米軍基地によって引き起こされる問題にどう責任をとるのか」「権力に利用される」などというものです。これに対して、最初は明確な反論ができなかった私も、基地を引き取ることに賛同する人たちとの話し合いや、「ポジショナリティー」(政治的立ち位置)という問題を問い続けてこられた学者たちからの助言の中で、少しずつこの問題を整理し、捉えられるようになってきました。

ポジショナリティー

 まず、明確にしなければならないのは、「ポジショナリティー」の意味だと思います。私たち「引き取る行動・大阪」のメンバーも全員が、基地はどこにもないほうがいいと思っていますし、日米安保条約も即刻破棄すべきだと思っています。しかし、個人の信条がどうであれ、日米安保条約の支持者が8割にのぼる日本社会の中で、沖縄に差別政策を強いている日本政府を支えてきた(方針転換をさせられていない)日本人であるという「ポジショナリティー」は変えられないものです。そして、日米安保体制の負の部分は背負わずに、恩恵だけを受け続けているという事実も変わりません。であるならば、日米安保条約支持者と同様、基地を引き取るべき立場にいることに変わりはないと考えています。この日本社会の中で「基地はどこにもいらない」と叫ぶことが、結果として沖縄に基地を固定化する事態を招いてきたのではないかということも、10年間行動をしてきた人間として考えなければならないことだと思いました。

主体的に生きるため

 ただ、私たちが「基地を引き取る」という行動の中で言いたいことは、「日米安保条約の支持と引き換えに応分の基地負担をすべきだ」ということだけではありません。沖縄に基地を置くさまざまな言説が論理的に破綻している今、それでも沖縄に基地を押し付けておくのは、沖縄への差別主義、さらに言うと植民地主義に他ならないと考えていています。「基地を引き取る」過程には、自らの手で沖縄への差別主義、植民地主義をやめるということが含まれています。さらに、沖縄に任せきりにしてきた日米安保体制や米軍基地の負担について、自らの生活に引き寄せて考え、これからどうしていくのかということを主体的に決断していくという過程も含まれています。

 この間、引き取る行動をテーマにしたシンポジウムを開催したり、その前後に新聞報道されたりする中で、いろんな反応が寄せられています。私たちが想像していた以上に、「自分の問題に引き寄せて考えるために、引き取る行動をしなければならないのではないか…」とおっしゃる方が多くいます。一方、「大阪に引き取れる可能性がどこまであるのか」「金儲(もう)けの視点から基地を誘致したい人に主導権を渡さずに、強力な住民運動をどうやってつくっていくのか」などという指摘も受けています。それらの良心的な指摘はきちんと受け止め、丁寧に検証、勉強しながら行動していかなければならないと思っています。

 まずは、すぐに賛同できない人も含め、多くの日本の人にこの議論に加わってほしいと願っています。この行動は、沖縄の訴え、切実な問題提起を受けて始まった行動です。これまで動かなかった沖縄の過剰な基地負担を解消するための一歩となるように、沖縄と日本の不均衡な関係が少しでも改善するようにと決意しています。しかし、この行動の核心はあくまでも日本人のための、日本人が差別や抑圧をやめて、主体的に生きていくための行動だと思っています。
(松本亜季 引き取る行動・大阪)