<「県外移設」という問い>5 県内識者に聞く


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高橋哲哉「沖縄の米軍基地 『県外移設』を考える」と7月12日に大阪で開かれた集会のチラシ

思想と運動の観点から 日本の矛盾を提起

 

 沖縄に基地を押し付けたくないという立場から大阪で基地を引き取る運動が始まり、哲学者の高橋哲哉東大大学院教授が「沖縄の米軍基地 『県外移設』を考える」(集英社新書)という形でその論理を「本土」の人々に問い掛けた。この連載で、大阪の運動の当事者からそのような運動に至った経緯を書いていただき、2人の識者に見解を示していただいた。一方で沖縄県内の反応は単純ではない。沖縄の思想の問題として、そして運動の観点からどう受け止めるべきか。県内の識者に聞いた。

 

注目と期待

 昨年、共同通信のインタビューで「日米安保条約が必要なのであれば、基地を本土でも分け持ってほしいと沖縄は希望している。しかし、もしどこかの県がそれを引き受けたら、その知事は次の選挙で落選するでしょう。だから引き受けない。その状況を誰も疑わず、最終的に誰も責任を負わない。そういう差別にがんじがらめになっているのが、今の沖縄なんです」との趣旨を述べた作家の大城立裕さん。(本紙2014年8月18日付)その後も雑誌などに同趣旨の主張を書き続けている。

 高橋氏の著書について「具体的でいいですね」と評価し、同時に「いきなり結論を求めなくてもいい」と語った。「基地はいらないということと日米安保は必要という矛盾をごまかして逃げているのが本土じゃないか。しかし、本土の人にそう言ってしまうと議論が果てしなく続いて、お付き合いが壊れるのを恐れるんでしょうね」と、議論することの難しさに触れた。

 詩人の中里友豪さんは「引き取り運動が行政を動かせるまでになれば面白いと思う。ヤマトを変えることが一番大切だ」と動向に注目する。「基地が厄介なのは、単なる施設が動くんじゃない。人間が一緒に動く。20歳前後の若い連中だ。それをヤマトの人々は恐れている。それを理解して受け入れると言うのは相当勇気があることだと思う」と話し、期待を込めた。

新基地阻止に集中

 運動の立場から新崎盛暉沖縄大名誉教授(沖縄近現代史)は慎重な見方を示す。沖縄県議会で全会一致の「県外移設」決議をするまでの複雑な経緯も振り返りながら「要するに今、政治闘争をやっている。闘いの手段として使えるものは使うし、現実に使ってきた」と強調。「今は辺野古新基地建設阻止の闘いをどう進めていくかだ。辺野古を阻止できたら安保は変わる。建設されてしまえば逆の意味で変わる。そこに政治のダイナミズムがある」と述べた。

 大阪の引き取る運動について「壁にぶつかる中で非常に真面目に考えたものと受け止めているが、無関心な人々を目覚めさせて辺野古反対につながるのか疑問がある。日米安保を必要としている人たちが考えるようになればいいが、世論を変えられるかどうかが問題だ」「差別している、基地を持って行け、と言うことで共闘ができるとは思えない。スローガンが正しくても政治的力にならないといけない」と厳しい目を向ける。

 そして「『どこにも基地はいらない』という主張もお題目となって力を失っている。その中で『県外移設』を含む『オール沖縄』という連合体ができてきた」と現状を分析した上で「戦略目標を見失うべきではない」と強調する。「辺野古新基地阻止に集中すべきだと思う。辺野古を阻止すれば沖縄は変わるし、日本も変わる。逆にごり押しでやられてしまうと暗闇の世界になる。辺野古が将来を左右する」

沖縄の歴史体験

 映像批評家の仲里効さんは「日本の8割が日米安保条約を必要と思っているのなら、米軍基地の74%が沖縄にあるという圧倒的不平等をやめて応分に負担せよ、という論理自体の正しさは分かる。それをオブラートに包んできた日本の戦後社会の無意識の構造的差別を前景化していくという役割は評価する」としつつ、「基地を持ち帰れとか引き受けるというロジックが、運動や思想として語られることに違和感がある」と語る。

 その理由として「戦後沖縄における反基地運動のエッセンスには沖縄戦の体験とアメリカによる占領の体験がある。暴力にさらされてきた歴史体験だ」と強調した。沖縄が「基地を引き取れ」となかなか言えないのは、沖縄の優しさや弱さではなく歴史体験があるからという見方だ。「戦後70年間、解決できていない」との指摘についても「具体的な運動の蓄積で沖縄は内在的に変わってきた」と反論した。

「沖縄よ」と問う

 仲里さんはそして、「高橋さんは『日本人よ』という呼び掛けへの応答をした。沖縄にいるわれわれは、『沖縄よ』という言い方から実践の思想を立ち起こしていくのが基本だと思う」と強調し、こう指摘する。「『沖縄よ』と問う時、軍隊、基地という暴力装置を引き取らせるということは出てこないと思う」「沖縄戦の死者の声を聞き取るなら、痛みを他者に押し付けることはできない」

 一方、次のようにも指摘する。「県外移設論自体、矛盾の提起だ。アメリカの傘の下の日本、日本の近代の在り方、戦争責任、戦後責任の在り方が、沖縄という結節点で問われている」
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 「日本人よ」と「沖縄よ」という二つの問い。その結び目に「県外移設」という問いがあるのではないか。この問いに応答するには立場性の表明が迫られ、「連帯」とは何かという議論からも逃れられない。

 辺野古新基地建設阻止の一致点で団結して「オール沖縄」の運動が展開されている。しかし、そこに加わる人々の思想信条はさまざまだ。辺野古も国政も事態は緊迫しているが、同時に息の長い運動の持続、世界的な広がりも求められている。その中で、「県外移設」という問いは新たな対話、議論の基礎になるのではないか。それは、仲里効さんが言うように日本の戦後、近代の矛盾を問うことにもなる。豊かな議論が、思想と運動に厚みと広がりをもたらすことを期待したい。
(米倉外昭)