<脱植民地主義と「県外移設」論>上 知念ウシ


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〈ジェンダー〉女を用い女を批判/誰が「死者を身ごもる」のか

 仲里効さんが「沖縄戦後思想史」を根拠に、在沖軍事基地に関する沖縄人の「県外移設」要求と日本人による「基地引き取り」の応答に反対している。しかし、仲里さんの文章を何度読んでも納得がいかない。そもそも仲里さんの文章は難解だ。大学院で「現代思想」や「フランス哲学」を学んだ者にしかわからないような概念や言い回しをわかりやすい説明もないまま用いて、県外移設を論じるのはどうなんだろう。県外移設とは私たちの問題であるのに、どうしてそんなふうに議論されなくてはならないのか、多くの読者が困惑していることだろう。

 私は5月に「『県外移設論』の思想とは-仲里効氏の批判への応答」(本欄5月18~20日)を書いた。それに対して、仲里さんも「再論 沖縄戦後思想史から問う『県外移設』論」(6月2~4日)をお書きだ。しかし、私が挙げた8点に対して意味をずらしたり、はぐらかしたりして十分応えているとは言い難い。そのことを詳しく論じたいが、紙幅の制限があり、読者の皆さまには大変申し訳ないが、(まだ新聞が取ってあったら)あらためて私の論考と仲里さんの「応答」を比較対照しながら読んでいただけたらうれしい。ここでは、特に重要な点にしぼって検討したい。

【1】「身体言語」とジェンダー

普天間基地の模型を入れたタライを頭にのせ、沖縄女性の伝統的な行商スタイルで「基地コ~ミソ~レ~」と訴えるジャンヌ会の女性=1999年10月23日県内移設反対県民大会、宜野湾市海浜公園(兼城淳子撮影)

 仲里さんの論考(下)(6月4日)で、目に飛び込んでくるのは、1995年の県民大会壇上の女子高校生の写真だ。これは、私の論考(下)(5月20日)の小渡ハル子さんの写真を意識したもののように見える。そして本文には、「(略)高校生のメッセージは『売る-買う』/『引き取れ-引き取る』身ぶりを突き抜けて、暴力装置としての基地と軍隊にまっすぐ伸びている」とある。県外移設を主張する大人の女性たちは「曲がっている」と言いたいのか。

 仲里さんは「身体言語」を重視しているようだ(6月3日)。論考中、特にその定義はないが、「観念的ではなく、身体感覚・実感とのつながりを失わない言葉」だと解釈するとして、では仲里さんの言葉は「身体言語」なのか。

 仲里さんは、カマドゥー小(グヮー)や名護のジャンヌ会の女性の県外移設主張は「能動化されたモラルニヒリズム」に支えられ、「暴力装置である基地と軍隊」を〈修辞-物象化〉するものと批判する(これも難解な表現だが、基地と軍隊は具体的な物としてあって機能するからこそ暴力装置なのではないか。県外移設を主張する女性たちが「物」にしたのか)。

 そして、「凌辱(りょうじょく)された女性たちを2度凌辱することになりはしないか」と非難する(6月4日)。だが県外移設を主張する沖縄の女性たちは、沖縄で長年繰り返される兵士の性暴力に身をもって恐怖し怒り悲しむからこそ、基地の撤去を求めている。それに対して、こともあろうに「セカンドレイプ」だなどと決めつけるとは、あまりのことに言葉を失う。

 仲里さんは論考の最後で、「『日本人よ』という声を割って『沖縄よ』と内発する声は〈死者を身ごもる〉だろう」と述べる(6月4日)。ここも曖昧だ。包含? 再生? 死産? いずれにせよ「身ごもる」のは女性であり、胎児を育み、あるいは死産するのも女性の身体だ。

 このように仲里さんは、沖縄の女たちを分断し、女を批判するのに女を用いる。傷ついた女をさらに女に傷つけさせ、女の身体によって自説を主張する。仲里さんの「身体感覚」とは何だろう。これが「身体言語」なのか。

 私は前回、仲里さんの議論では県外移設/基地引き取りに関わる女性が消え、「インテリ男性による男性中心的なホモソーシャルな三角関係」に回収されてしまわないかと危惧した(5月18日)。仲里さんは「女性の不在」は認めつつも、私の指摘を「揶揄(やゆ)」だと評し、「いかにも分りやすいマーキングで図式化するのには、ただ苦笑する以外ない」と言う。しかし、私は本気で懸念し問題提起をしたつもりだ。これを「揶揄」だと片づけるのがいかに女性侮蔑(ぶべつ)的で、女性の視点の排除になるのか、気がついてほしい。

伊佐さんとは停戦?

 仲里論考に関しては、伊佐眞一さんも「琉球・沖縄史から見た『県外移設』論」(本欄4月26~28日)を書き、批判している。ところが仲里さんは、「私と同じ世代の沖縄の第1次ベビーブーマー世代に属する伊佐さんとは、戦後体験や戦後責任などについて機会をあらためて議論を尽くしていくつもり」として特に反論せず、私への「応答をメイン」とした(6月2日)。しかし、伊佐さんはそうしたことについて書いたのか。

 伊佐さんは「(略)どうして、明治以降の歴史を批判・自省した地点に立つ現代の沖縄人が、ヤマトに向かって米軍基地の移設を直言してはならないのか、私には不思議でならない」、「そこに明示された沖縄人像とその克服法では、この先もずっとどん詰まりの沖縄でしかないのではないか」と仲里論の根幹に迫っているのだ。

 ここでも仲里さんは「下の世代の女性」である私を標的にしながら、「同世代の男性」の伊佐さんには「停戦」を申し込み、「男同士の絆」をつくろうとしているように見える。

(ちにん・うしぃ むぬかちゃー=ライター)

(2016年9月14日 琉球新報掲載)

 昨年8月に「『県外移設』という問い」(5回)を掲載して以後、本欄で県外移設論を取り上げてきました。8月の連載を受け11月、高橋哲哉氏が応答し、これに今年1月、仲里効氏が論考を寄せて、論争となりました。その後、議論のステージ形成を目指して、論者を広げながら展開しています。