<今こそ「県外移設」を 新基地阻止への道筋として>上 高橋哲哉(東京大学大学院教授、哲学)


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沖縄の要求に呼応/沈黙する「本土」に風穴

  安倍政権はついに、なりふりかまわず辺野古新基地の本体工事に着手した。沖縄の圧倒的な民意を一顧だにせず、法をねじまげても軍事拠点の建設に血道を上げる国に対して、翁長雄志知事は「あらゆる手段で阻止する」と繰り返している。私たち市民もまた、沖縄の半永久的な軍事要塞化に道を開きかねないこの暴挙を阻止するために、新基地建設反対の一点でつながり、知恵と力を出し合いたい。

 

高橋 哲哉

沖縄2紙で連載

 筆者はこの6月、拙著『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』を上梓(じょうし)した。本紙連載「『県外移設』という問い」(8月20日~9月8日付、5回)では、在沖米軍基地を大阪で引き取る運動とともに、拙著の内容が検討された。やや遅れて「沖縄タイムス」でも、「『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』を読む」(4回)として4人の論者の書評が掲載された。文字通りの小著に対し、沖縄でこれほど大きな関心が寄せられたことに感謝の意を表したい。

 拙著で筆者は、在沖米軍基地は日米安保体制下では本来「本土」に置かれるべきもので、それを「本土」に引き取ることが日本政府と日本人の責任であると主張した。その論拠の紹介はここでは紙幅の関係でできないが、拙著の狙いは何よりも、沖縄発の県外移設要求に沈黙を続ける「本土」の現状に風穴をあけ、「本土」の読者に対して県外移設要求の正当性を示すことにあった。拙著の出版と前後して大阪と福岡で基地引き取りをめざす市民運動が立ち上がったが、これは予想外の心強い動きであった。

 本紙の連載では、高良沙哉(さちか)氏とましこひでのり氏が拙著の論旨を基本的に肯定、松本亜季氏は大阪の引き取り運動の当事者であり、金城馨氏も当該運動を支持する立場からの寄稿であった。一方、米倉外昭記者によるインタビュー構成となった連載(5)では、大城立裕氏と中里友豪氏が引き取りに好意的だったのに対し、新崎盛暉氏と仲里効氏からは一定の留保ないし疑問の提起があった。以下では新崎氏と仲里氏の発言について、簡単ながら私見を述べておきたい。

辺野古新基地建設に反対を訴える市民を取り囲む警官ら=10月31日午前、名護市辺野古のキャンプシュワブ前

「本土」でこそ声を

 新崎氏は語る。「今は辺野古新基地阻止の闘いをどう進めていくかだ。辺野古を阻止できたら安保は変わる。建設されてしまえば逆の意味で変わる」「辺野古新基地阻止に集中すべきだと思う。辺野古を阻止すれば沖縄は変わるし、日本も変わる。逆にごり押しでやられてしまうと暗闇の世界になる。辺野古が将来を左右する」。氏も「『どこにも基地はいらない』という主張」が「お題目となって力を失っている」ことは認めるし、その中から「『県外移設』を含む『オール沖縄』という連合体ができてきた」と見ているが、だからといって「戦略目標を見失うべきではない」と強調する。米倉記者はこれを、「県外移設」に対して「運動の立場」から「慎重な見方」を示したもの、としている。

 冒頭に述べたとおり、当面辺野古新基地建設阻止に全力を挙げるべきだということに筆者は全く同感である。阻止できなかった時の代償はあまりにも大きい。私たち市民も現場に行ける人は現場で、行けない人は各自の場所でできることに力を尽くしたい。筆者はこれまで機会あるたびに次のように訴えてきた。辺野古新基地建設を阻止する責任は、全国の99%を占める「本土」の有権者にある。沖縄の民意を圧殺する建設強行に対しては、日米安保容認派も反対派も、「県外移設」派も「国外移設」派も反対で一致できるはずだ。本来、沖縄の人々が闘わずしてすむように、「本土」でこそ沖縄の何十倍もの反対の声を上げなければならない、と。

差別をやめるため

 基地引き取りの思想と運動が、辺野古新基地阻止運動の力を削(そ)いだり、分散させたりするとは筆者には思えない。翁長知事は2015年度の県政運営方針として「『辺野古に新基地は造らせない』ということを県政運営の柱にして、普天間飛行場の県外移設を求めていく」と述べていた(県議会2月定例会)。工事中断合意後の記者会見でも「県外移設をベースとして」交渉するとし、実際「県外・国外移設」を要求してきた。

 「本土」の基地引き取りの思想と運動は、こうした沖縄からの「県外移設」要求に「本土」の側から呼応し、「辺野古が唯一の解決策」とうそぶく日米両政府に対峙(たいじ)しようとするものである。沖縄に固執するのは軍事的理由ではなく政治的理由によるのだと、防衛相や防衛庁長官経験者が認めている。「本土」に基地引き取りの声を広げることで、普天間の固定化を許さず、辺野古新基地建設を断念させるために役立つことができるのではないか。

 大阪の引き取り運動について、新崎氏は語る。「差別している、基地を持って行け、と言うことで共闘ができるとは思えない。スローガンが正しくても政治的力にならないといけない」。だが、「差別している、基地を持って行け、と言う」のは沖縄側である。大阪や福岡の運動は、その沖縄側の要求に正当性を認めて、「私たちは差別している(側にいる)。差別をやめるために基地を引き取ろう」と「本土」の人々に呼びかけているのである。こうした運動は、沖縄の基地撤去運動、また辺野古新基地阻止の運動と十分「共闘」できると思うが、どうであろうか。

(高橋哲哉 東京大学大学院教授、哲学)

※注:高良沙哉氏の「高」は旧漢字