<沖縄戦後思想史から問う「県外移設」論>下 仲里効


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日本復帰後、自衛隊の本格配備が始まり、第1陣72人が那覇空港に到着した=1972年10月2日

戦争の「絶対否定」を/「負担平等」の罠に陥るな

 「県外移設」が沖縄の政治シーンに登場するのは、高橋哲哉氏も確かめ直したように1995年からであった。その年の9月に3名の米兵が小学生を拉致し、集団でレイプした事件の衝撃は日常に亀裂を入れ、沖縄戦とアメリカの占領、そして「日本復帰」とは何であったのかを、根本から問い直していくことを私たちに迫った。今日まで途絶えることなく続く沖縄の鳴動は1995年からはじまったと言っても過言ではない。その熱と渦は独立論への口ごもりを解いたのをはじめ、自己決定権への関心のかつてない高まりなど、それまでの沖縄の抵抗の史脈を書き換えていく重層的な潮流を形成していった。

戦争体験の風化

 立ち止まって考えてみたいのは、県外移設論の盲点を手厳しく衝(つ)いた目取真俊氏の見解である。すなわち、「県外移設を言えるようになったのは、沖縄の中で戦争体験が風化したからです。戦争に対する絶対的な否定感がなくなったから」で、さらに「そんなこともきちんと認識しないで、県外移設だと言えるようになったから、今までの運動を超えたような地点に自分がいるかのような気になっている。こんな認識しかできない人たちが県外移設を唱(とな)えても、これは足がない幽霊みたいなもの」(「神奈川大学評論」82号、2015年11月)だと。「足がない幽霊」とはまたなんと辛辣(しんらつ)な指摘だろう。

 ここでは安保をもって安保体制をなくそうとする「引き取り」運動やそれを「新たな運動ののろし」と見なすことへの批判が、決定的な指標で言われているはずだ。そしてそれは高橋氏の米軍基地を「合理的」に配分しようとする考えの剣呑(けんのん)さにまで真っすぐに伸びている。たとえば橋下徹大阪府知事が関西国際空港を普天間基地の移設先として検討したことを、あたかも評価するように取り上げたり、都道府県別の米軍規模と米軍施設の統計を示し、「県外移設をする場合には可能な限り『合理的』に、『負担平等』の原則に近づけて」沖縄を除く都道府県への分散移転を提案するところなどは、それまでの応答責任から重苦しいまでの論の運びとは違い、底が抜けたような楽観さを露呈してしまっている。

 いったい殺戮(さつりく)装置である基地(と軍隊)を「合理的」に移設すると言う「合理的」とは、「負担平等」の「平等」とは、「応分の負担」の「応分」とはなんだろう。私はそこに「本土並み」返還論の亡霊を見る。「戦争体験の風化」と「戦争に対する絶対的な否定感」の不在--目取真氏の指摘は重い。

残余の思想

 「ボク零歳・黒焦げんぼ」という詩があった。1962年12月20日に米軍の大型輸送機KB54が嘉手納に墜落し、24歳の青年と生後2カ月の男児が焼け死んだ事故の衝撃から中里友豪氏が作った詩である。

 この詩は米軍基地や米兵がらみの事件、事故によってむごたらしい死に追いやられた死者たちを呼び入れながら、アメリカ占領下の沖縄の不条理をたじろがず見ることを要請する。眼を凝らしたいのは、「カラダゴト黒イ目の形ニナッテ」という一節や「ボク食ベラレタクアリマセン/食卓ニ黒イカタマリガアレバ/ソレハボク/ボクニハ権利ガアリマス/アナタノ食卓ニイツマデモ/居続ケル/黒」という言葉からも読み取れるように、“零度の眼”を獲得したことと、アメリカ占領下の沖縄の日常を死者たちを「食べる」という位相で認識していることである。〈居続ケル/黒〉とは、沖縄戦を生き延びてしまったことを「艦砲ヌ喰ェーヌクサー」と心に染める残余の思想とも重なる。“残余の思想”は〈居続ケル/黒〉を持つことによって「永遠平和」の理念から不断に働きかけられる。

 ここでの「アナタノ食卓ニイツマデモ/居続ケル/黒」からする永久告発は、目取真俊氏の戦争の「絶対否定」と共振する。そしてそれはさらに、日米両国から「死者」として位置づけられ、その「死者」の位相からすべてを発想するほかにないとした「わが沖縄・遺恨二十四年--死亡者台帳からの異議申し立て」(川満信一)の場に繋(つな)がっていく。そこには沖縄の戦後思想の核心点があり、辺野古の海とゲート前で日に日を繋いで実践されている抵抗の同時代史に受け継がれている原点でもある(詳細は「越境広場」1号での山城博治スペシャルインタビュー参照)。

永遠平和のため

 「死者」としての位相と戦争の「絶対否定」は、戦後ゼロ年を生きる沖縄が召喚した「永遠平和のために」であり、またたとえ到達することが遠いにしても、絶えず現実に働きかけ現実を変える「統整的理念」(カント)だと言い換えることもできよう。それは基地負担を数量化し「合理的」に分散するという現実主義が陥る「負担平等」の罠(わな)を糺(ただ)す。

 基地移設論の手前で踏みとどまること、少女を陵辱した戦争器官を“いま”と“ここ”においてなくすことを非暴力直接行動や自立の思想的拠点において組織し返していくこと。「安保条約の廃棄と日本の軍事力の完全解消、産業および経済の軍事的構造化を逆転すること、死亡者台帳の中から沖縄百万の人間が蘇生するためには、いまのところその方向にしか道は求められない」と1970年に刻んだ「死亡者台帳からの異議申し立て」は、沖縄が生き延びていくための原理である。戦争が露出する今、戦争を知らない世代の責任が問われる。

(仲里効、映像批評家)

(2016年1月22日 琉球新報掲載)