<「県外移設」の思想とは・仲里効氏の批判への応答>下 知念ウシ


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捨て石を拒否する/未来思う女性たちの声

2007年9月29日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」で発言する小渡ハル子県婦人連合会長

■6、死者の声

 第6に、仲里さんは目取真俊さんの発言を引用しながら、県外移設論には「戦争体験の風化」と「戦争に対する絶対的否定感の不在」があると批判する。確かに、沖縄戦の記憶と教訓の継承は重要なテーマである。しかし、沖縄社会で、「九〇年代以降、県外移設の主張が前面に出てくる背景」(目取真『神奈川大学評論』82号、昨年11月、17ページ)には、それというよりむしろ、「復帰」後も減らないどころか強化される基地負担とそれに対する日本(本土)の無関心、さらに普天間基地返還に対する県内移設条件の強要という日本政府の仕打ちに沖縄への差別を認識せざるをえないということがあるのではないか。

 さらに、日本の政府と社会の右傾化に、このままでは沖縄に基地が半永久的に固定化され、その上、沖縄の民主主義を踏みにじりながら新基地まで造られてしまうと、沖縄戦の再来が現実化し、またヤマトゥの捨て石にされるという危機感が深まっているからなのではないか。これらに対峙(たいじ)し押し返そうと「安保が必要なら県外へ移設を」「平等負担を」という主張が出てきたのではないか。

小渡ハル子さん

 2007年文科省の歴史教科書検定で、沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の日本軍関与の記述が削除された。それに抗議し、撤回を求める県民大会に11万人が集まった。その開催をいち早く訴え、副実行委員長になったのが県婦人連合会会長だった小渡ハル子さん(故人)である。戦争で夫や家族を失い戦後の混乱の中で苦労する沖縄の女性を支え、平和を求める運動を続けてきた小渡さんは、10年の「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」にあたり、次のように語った。

 「沖縄は65年間も基地の重圧を受けてきた。今度は本土に持って行くと政府が言えばいい。沖縄にやったように押し付ければいい。どの県も反対するというが、沖縄はもっと反対だ。本土が嫌いなものは沖縄も嫌いだ。私が一番望んでいるのは県内の基地撤去だが、それができないなら、全国の47分の1だけ沖縄に置くべきだ」「私は地上戦をくぐり抜けているから80歳になった今も基地撤去を訴えなければならないと思っている。子や孫たちが安心して暮らしていけたらとそれだけを願う」(本紙10年4月20日)。そして同じ頃、歌を詠んだ。「戦争の悲惨さ後世に伝えよと夢枕に立つ亡き友の声」(「タイムス歌壇」『沖縄タイムス』同年同月25日)。

 私は小渡さんが「沖縄戦の死者の声」を聞きながら、「子や孫たちが安心して暮らしていけたらとそれだけを願」って、「県外移設」を訴えるようになったと受け止めた。

■7、国民国家

 第7に、仲里さんは県外移設論に「復帰運動」と似たベクトルを感じ「既視感」を覚えるそうだ。確かに、県外移設論には、国民国家の中での平等を求める面がある。しかし、それは仲里さんが言うように、「日本国家の沖縄再併合の狡知(こうち)に無残なまでに刈り取られ」た後、その真っ只中(ただなか)に捕捉されているわたしたちはその国家を前提にせざるをえないからである。

 さらに「負担平等」も、「本土の人も私たち同様に苦しめ」ではなく、「せめて本土の人たちと同程度に私たちも軍事基地から解放されたい」との要求だ。それも国家を強化させる「体制内差別解消」でしかないからいけないのだろうか。体制を一挙に転覆するため、矛盾が堆積するのを待つべきなのか。

 国民国家の中で平等を求めることと国家を批判し乗り越えようとすることは同時にやっていいはずだ。国民国家の成立原理に植民地主義があることは指摘されている。実際、県外移設論は琉球民族独立総合研究学会(同会HP)、自己決定権論者、先住民族論者にも共有されている。これは仲里さんも承知のはずだ。

 仲里さんが依拠し引用した目取真さんの県外移設論批判の箇所は「いま独立を主張している皆さんの言動には疑問があります。例えば」(目取真、前掲誌、16ページ)で始まるからだ。つまり、目取真さんが批判する県外移設論は独立論者が言っているものなのだ。仲里さんはその部分を読んだ上で引用しながら、県外移設論は日本復帰運動に似ていると言っているのである。

■8、植民地主義

 第8に、仲里さんが紹介する中里友豪さんの詩の焼け焦げた塊になった子どもの描写は衝撃的だ。私はこれこそが、沖縄人の政治的、権力的に置かれた位置・立場(ポジショナリティー)だと思う。

 沖縄戦でのジェノサイドに近い殺戮(さつりく)からたまたま生き残った者、「艦砲ヌ喰(く)ェーヌクサー」。これが沖縄人だ。そして、その次に待ち受けるのが基地被害によって「焼け焦げること」である。同時に、基地の存在によって加害者となり「悪魔の島」と呼ばれる。これらは今も続く現実だ。そして、基地も被害も反基地運動も沖縄に押し込められ、隔離され、「沖縄から基地がなくならないのは沖縄人のせいだ」と言われる。このようなポジショナリティーとしての「沖縄人」が日々つくられている。

 私自身は沖縄戦の激戦地の一つに生まれ、祖母の戦争体験を聞いて育った。戦争を絶対的に否定しているつもりだ。それでも「県外移設」と、語感からすると「基地や戦争を容認」しているように聞こえることを言わなければならないのは、植民地主義が邪魔しているからだ。それとの対峙なしに、「永遠平和」「基地はどこにもいらない」と言うことは沖縄に基地を固定化させてしまうことになると沖縄の歴史から学んだからである。

食ベラレタクナイ

 「ボク食ベラレタクアリマセン」というのは、私には、いま目の前にいる沖縄の子どもたちが「植民地主義に食べられたくない」と発する声として聞こえてくる。私たちはその声に応えなければならない。そのためには、辺野古や普天間、高江、嘉手納、浦添、宮古、八重山、与那国での基地建設阻止、基地反対行動と同時に日本人の植民地主義とも対峙しなければならない。県外移設はそのためのものであり、基地引き取りも日本人がそれをやめようとするものだ。

 基地引き取り運動には在日朝鮮人も参加している。それはこの運動が反植民地主義だからである。彼ら・彼女らにとって日本人の植民地主義は沖縄人と共通の課題であるとともに、自らが日本人に同化して、沖縄への植民地主義に加担することを拒否しているのだ。

(むぬかちゃー)