<再論・沖縄戦後思想史から問う「県外移設」論>上 仲里効


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〈代行〉の構図設営/言説の「一望監視」装置化

「元米海兵隊兵士の事件被害者を追悼し、米軍の撤退を求める集会」で、死者の魂を意味する黒いチョウの絵を掲げて抗議する参加者=5月22日、北中城村のキャンプ・フォスターゲート前

 5月17日、本紙社説は「基地引き取り論/運動の広がりを期待」の見出しで、基地の本土引き取りを考える大阪でのシンポジウムを紹介しながら「どこにも基地はいらない」という主張に疑問を呈し、引き取り運動の広がりに期待していた。その日はなぜか知念ウシさん(以下は「さん」で統一)の「『県外移設』の思想とは」が上中下で連載される前日だった。

 そして連載が終わった翌日の20日、行方不明になっていたうるま市に住む20歳の女性が暴行されたうえ殺され、元海兵隊員で軍属の男が死体遺棄容疑で逮捕されたことを1面トップで報じていたが、その日の社説は「基地ある限り、犠牲者が今後も出る恐れは否定できない。基地撤去こそが最も有効な再発防止策である」となっていた。

 驚いた。新聞社の顔とも言える「社説」が3日を待たず、一読した限りでは矛盾した主張になっていて、基本的な主張がどこに置かれているのか判然としない。堕天使が歴史をめくりペロッと舌を出す一瞬を見たような気がした。1995年に3人の海兵隊員による12歳の少女と、あのときゼロ歳だった20歳の女性に行使された元海兵隊員による性暴力(本人が一時自供、その後黙秘)、兵士の身体が連鎖させた暴力はフェンスの〈内〉も〈外〉も、〈現役〉も〈元〉もなく、沖縄の日常のなかに侵入する。凌辱(りょうじょく)された死者にいかなる慰めの言葉も無力である、と思う。その底のない暗い穴は、ただ声なき声、目なき目となって私たちの基地と軍隊をめぐる暴力への姿勢を根源的な問いにさらさずにはおかない。

パナプティコン

 昨年8月、本紙に掲載された「県外移設という問い」(5回)をきっかけにしてはじまった議論は意外な曲線を描こうとしている。高橋哲哉さんが「今こそ『県外移設』を」(11月)で応え、それに対し私が「沖縄戦後思想史から問う『県外移設』論」(1月)という批判的な応答文を書いた。そのアドレスは高橋さんだった。

 ところが、3カ月以上も経(た)った4月26日、伊佐眞一さんが「琉球・沖縄史から見る『県外移設』論」を、その3週間後に知念ウシさんが「『県外移設』の思想とは」の反論をそれぞれ上中下で書いてきた。知念さんのサブタイトルは、なんと「仲里効氏の批判への応答」となっている。まるで私が知念さんを批判し、知念さんが応えるという錯覚を与える。「引き取り論」をマンガタミーしている心の膨らみがそうさせるのだろう。

 よく考えてみたい。名宛人をさしおいて、仲里VS伊佐・知念として設営されてしまったこと、伊佐・知念両人が私を批判し、私が応じる、この構図は編者や書き手の意図とは別に、言説のパナプティコン(一望監視)を作ってしまったということになりはしないか。言葉を換えて言えば、〈代行〉という働きがあったということである。いったん公にされた文への反論の自由は保証されなければならないことは原則だとしても、植民地主義は巧妙なパナプティコンを装置化することからして、よほどの慎重さが必要とされる。ましてや「県外移設の思想」が「植民地主義の構造を見抜く」ことであればなおさらそのことに鈍感であるわけにはいかない。

女性たちの姿

 私の批判的応答は高橋哲哉さんを第一の名宛にしていた。そのための制約を受けざるを得なかった。そうした事情を知ってか知らずか、知念さんが「女性たちの姿が感じとれない」と言い、仲里が「シランフーナー」というシマクトゥバを使ったことに(『シランフーナーの暴力』の著者である)「私の名も書名もない」と不満を漏らし、そのうえ「これでは、県外移設/基地引き取りをめぐる思想と運動が、野村/高橋という二人の男性大学教授と批評者仲里という、インテリ男性による男性中心主義的なホモソーシャルな三角関係」だと揶揄(やゆ)する、いかにも分りやすいマーキングで図式化するのには、ただ苦笑する以外ない。

 「県外移設/基地引き取りについて思索し行動してきた女たちの姿が感じとれない」という指摘は当たっている(このことについては後で触れる)が、設営された議論の構図がどのような意味をもつかに、まず思いを返すべきではないか。

 かく言う私もこうして応じてしまった以上、言説のパナプティコンから無縁であるわけではない。私の批判的応答は少なくともこのことの座りの悪さのうちにある。予(あらかじ)め断っておきたいのは、私と同じ沖縄の第1次ベビーブーマー世代に属する伊佐眞一さんとは、戦後体験や戦後責任などについて機会をあらためて議論を尽くしていくつもりだが、ここでは基地引き取り論を積極的に表明している知念ウシさんへの応答をメインにしていきたい。その場合、提示された8点に逐条的に応えるということはせず、県外移設論のポイントにかかわると思われる論点を拾い沖縄の戦後思想史から再審していく。そのことが同時に、出された疑問や批判への応えとなるような展開になるだろう。
 (仲里効 なかざと・いさお 映像批評家)

<用語>パナプティコン
 受刑者はお互いは見えないが、看守からは受刑者全員が見える刑務所などの全展望監視システムのこと。ミシェル・フーコーが現代思想に転用して、管理、統制された環境の比喩として用いた。