校歌探訪 うるま市立城前小学校


この記事を書いた人 上原 康司

 沖縄本島に米軍が上陸した1945年4月1日から約1カ月後の5月7日、現在のうるま市で沖縄の戦後教育の芽が出た。首里城地下の司令部壕に集まった第軍が南部撤退をする前のことだ。戦災を逃れ、学校に集まった児童は790人。学校といっても校舎はなく、机や腰掛け、教科書などの学用品すらもなかった。児童は砂の上に指で字を書いて、学んだ。戦後教育と共に城前小学校の歴史が始まった。
 城前小の校歌がいつできたのか、詳細は分かっていない。しかし、創立50周年記念誌「しろまえ」に収録されている座談会で、校章を作った大山力さんは2代目校長の伊波信光さんの時に校歌を作ったことを話している。伊波さんと大山さんが城前小で一緒に働いていた52年~56年度と推測できる