9・25沖縄シンポジウム ヤマトンチュの選択-問われる責任、その果たし方


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基地集中 解決問う

沖縄の米軍基地を本土に引き取るべきかどうかについて活発に意見を交わした「9・25沖縄シンポジウム」=25日、東京都・東京しごとセンター講堂

 【東京】沖縄の米軍基地を日本本土に引き取るべきかどうかなどを問う「9・25沖縄シンポジウム ヤマトンチュの選択-問われる責任、その果たし方」(同実行委員会主催)が25日、東京都千代田区の東京しごとセンター講堂で開かれた。

 このシンポは昨年9月、沖縄の自己決定権をテーマにした議論から始まり、今回で4回目。引き取り論の是非を巡る本格的な討議は都内では初めてとなる。

 本土への基地引き取り論者の高橋哲哉東京大学大学院教授と引き取り論に否定的なジャーナリストの成澤宗男さんが対論した。200人以上が参加し、熱心に耳を傾けた。

高橋哲哉氏(東京大大学院教授) 「安保解消」まで本土に

高橋哲哉氏(東京大大学院教授)

【冒頭発言】

 沖縄への基地集中、辺野古基地問題は非常に厳しい。基地引き取り論は私自身、日米安保体制に反対であること、基地集中が構造的差別であることも前提だ。現在の沖縄の差別的状況は、薩摩侵略あるいは琉球併合から続く歴史的な沖縄差別の現在的な在り方だ。

 基地引き取り論は、安保廃止だけでは沖縄から出てきた県外移設論に応答し切れないと考えた結果だ。理由の一つは、各種世論調査で国民の圧倒的多数、最近では9割近くが安保支持だ。昨年の調査では私を含め「解消すべき」はわずか2%。この状況で安保を解消する政府ができるには極めて時間がかかる。一方で、今の体制は沖縄を犠牲にしてのみ成り立つ。

 政治もメディアも「安保維持支持」であれば、少なくとも私たちは安保解消までは沖縄の米軍基地を引き取るべきだ。在沖米軍基地は原理的には本来、本土に置かれるべきだ。新・旧安保とも沖縄選出国会議員が1人もいない中で成立・改定され今日に至っている。安保を政治的に選択してきた本土の力で沖縄への基地集中を変えるべきだ。

 辺野古問題で日米政府は「辺野古が唯一」と言っている。これに対し基地引き取りを打ち出せば「唯一ではない」と反論できる。それは辺野古の闘い、安保反対いずれとも矛盾しない。日米政府の言い分を崩す意味でも本土への引き取りを市民から示し、政府に真剣に検討させる選択肢があるはずだ。

 日本政府は本土で反対が起きることを口実に沖縄に基地を押し込めてきた。逆に本土が受け入れるとなれば選択肢が増える。そうすれば、普天間返還合意以降の混迷の20年はなかったかもしれない。辺野古を阻止できた場合、日米政府は普天間を固定化すると言う。その時に本土で引き取るとなれば少なくとも普天間は返還される。

[高橋氏への反論 成澤宗男氏]どの県にも基地はいらない

 私たちにとって責任とは何か。それは、私らの子どもたちに米軍のない日本にすることだ。高橋さんは「安保への当事者意識を持たせる」と言うが、多くの米軍基地を抱える神奈川県でさえ保守王国だ。本当に当事者意識を持っている人は少ない。基地がある自治体でさえそうなのに、日本にあまねく基地を置くことで当事者意識が広がるのはいつになるのか。そんな時間があるなら「安保をなくして米軍基地は出て行け」と言うことが優先だ。

 沖縄では自衛隊が強化されている。これからもそうだろう。米軍基地を引き取れとは言うが、自衛隊のそれは聞いたことがない。自衛隊はいいのか。そうではないはずだ。米軍であれ、自衛隊であれ、基地はいらない。どんなに状況が苦しくても「あなたの県はゼロなので基地を置きなさい」とは言ってはいけない。どこにも人殺しの基地はいらない。それを貫く以外に選択肢はない。安保の枠をいったん認め、安保をなくすというのはあり得ない。原則は、いらない物はいらない、あっていけない物はあっていけないのだ。だから安保撤廃まで歯を食いしばって頑張るしかない。

 米軍ジェット機事故があった宮森小を訪れると心が痛む。しかし日本でも同じような事故があった。人の生き死にに差別はない。

 基地引き取り論は戦争に対する意識の後退だ。今一番直面しているのは「日本国憲法を持っているから私らは素晴らしい」ではなく、戦争への加害の側面だ。日本から出撃した米軍機が世界中で戦争を起こしている。私たちの税金で米軍の戦争に加担している。それを知れば、基地をどこが引き受けるかは意味をなさない。

 日本の植民地主義と言うが、根源は米国の植民地主義だ。沖縄の米軍基地の集中、人権侵害はその結果だ。植民地主義の問題は米国と日本の間にも存在する。日本と沖縄の一方的問題ではない。それを打破するには日本と沖縄が共通の敵と闘うしかない。なぜそこに分断を持ち込むのか。基地引き取りは米国に向かって言うべきだ。共に手を携え、日本から基地を持って行けと。

成澤宗男氏(ジャーナリスト) 有益なのは全撤去要求

成澤宗男氏(ジャーナリスト)

【冒頭発言】

 基地引き取り論の一番の違和感はヤマト対ウチナーを対立させることに意味があるかという点だ。本土にも基地被害があり、占領期から今まで闘い続けてきた。今現在も苦闘している人が本土にいる。その人たちに高橋先生の主張の感想を聞くと賛成する人はいない。沖縄の苦しみを知っているが、口が裂けても基地を引き取るとは言えない。

 「安保解消」の人は確かに2%だがゼロではない。ヤマト、本土をひとくくりで考えてはいけない。沖縄と同じようにつらい犠牲を払っている人がいる。沖縄対本土ではなく、本当に基地被害に苦しんでいるが故に安保廃棄を目指している人たちと、無関心でいる人との対立構造の方が問題だ。沖縄のことは分かるが、どんなに苦しくても本土にある基地も撤去しなければならない。

 基地引き取りを決めても、どこに置くかということに、とてつもなく時間がかかる。2%が多数派になるのも時間がかかるかもしれないが、その方がはるかに有益だ。本土が引き取ることなっても米軍はすんなり沖縄から出て行かない。これだけ思いやり予算など政府が負担する国はなく、既得権を簡単に手放さない。

 本土の基地引き取りは沖縄で本当に闘っている人から拒否されている。ヤマトとの連帯を求めているのだ。

 米軍基地がある本土も沖縄も米国の侵略に加担している加害責任がある。本当に加害責任を意識するなら、やることは一つ。米軍を日本から追い出すことだ。(沖縄への)差別構造は歴史から見て確かにある。それが固定化されるのは好ましくないが、固定化されない唯一の選択は当面私らがもっと多くの日本人を高江や辺野古に送ることだ。基地引き取りのような悠長な議論をしている場合ではない。

[成澤氏への反論 高橋哲哉氏]責任明確化し、差別解消へ

 本土にも基地被害がある。安保を解消すれば本土、沖縄の基地がなくなる。賛成だ。しかし8割が支持する安保体制下で、沖縄の米軍基地集中という構造的差別を解消するには、引き取りを提起し、本土の方で当事者意識を持つ人を増やすことが大切だ。安保支持ならば基地を自分の所に置くのも容認することなのだと。本来、本土に置くべき基地を沖縄に肩代わりさせてきた。だから本土に引き取るべきで、それが嫌なら安保を見直す、あるいは反対するしかないだろう。

 確かに米軍はすんなり出て行かない。しかし引き取りつつ、本土で安保を問い続け世論を変えないと米軍を追い出すことはできない。米軍基地ゼロの府県は34ある。本土が引き取る責任があることを明確にした上で、どこに置くかは本土の責任で決めるべきだ。

 本土の米軍基地の多くは旧日本軍の基地だったが、沖縄の場合、日本から米国に施政権を譲る結果として米軍が基地を拡張した。歴史的由来からして本土の基地と沖縄の基地を同じように見るのは疑問だ。

 安保支持というのは日本に米軍基地を置くという政治的選択だ。基地を引き受ける選択もあり得るということだ。だが圧倒的多数が沖縄に集中している。基地引き取りはその責任を取るということだ。地球上から軍隊をなくすのは理想だが簡単ではない。安保解消もそうだ。私たちはまず沖縄への基地集中という差別的、植民地主義的事態を解消することに取り組むべきだ。それが現状では安保見直しを提起する大きなきっかけになるはずだ。

 成澤さんは「人の死に違いはない」と言う。その通りだが、現状では本土と沖縄で二重基準がある。これが差別だ。沖縄で生まれる子とそうでない子のリスクの差は大きい。成澤さんは沖縄の加害責任にも言及した。沖縄の人が責任を感じるのは自由だが、沖縄の海兵隊が海外で住民虐殺した責任は、日本の沖縄への植民地支配の結果として、海兵隊を沖縄に集中させてきたからだ。沖縄の加害責任すら、ヤマトンチュが押し付けているのではないか。

前田朗氏

前田朗氏 正面から議論し共闘確認の場に

 基地引き取り論はこれまでシンポで話題になってきたが、真っ正面から議論してこなかった。今、沖縄はひどい状況にある。最初に確認したいのは、この場にいるヤマトンチュの発言者は全員、沖縄への基地押し付けや安保条約に反対している。今問われている引き取り論についてはそれぞれ微妙な議論の違いがある。それを際立たせ、どこがどう違い、どこで共闘するのかなど一つ一つ確認する場にしたい。

 

― コメンテーターの発言 ―

芦澤礼子氏

芦澤礼子氏 「県外」模索実らなかった

 社民党の服部良一元衆院議員の下で秘書を務めた。民主党と連立政権を組んでいたころだ。当時の鳩山由紀夫首相が普天間基地は「最低でも県外」と言っていた中で何が起きていたか。

 当時、国民新党の下地幹郎衆院議員の嘉手納統合案があり、外務・防衛官僚は国外・県外移設ではなく、県内移設への動きが既に水面下で進められていた。2009年内に辺野古の問題を決着させようというすごい動きがあったが、政権与党から抵抗があり、決着しなかった。

 その後、3党連立の中で沖縄基地問題検討委員会ができ、服部氏もその一員だった。代替基地をどこに置くか、検討を重ねたが途中で打ち切られた。馬毛島や佐賀空港の案もあったが、最後は徳之島が出た。反対運動が起き、鳩山氏は結局「辺野古しかない」となった。県外を模索したが、実らなかった経緯があった。

 

木村辰彦氏

木村辰彦氏 沖縄と連帯する人増えた

 辺野古、高江の基地建設に対し、これだけ県民が反対しても強行する差別政策に怒りを覚える。確かに本土の皆さんは安保を容認し、沖縄に基地を押し付けている。これは差別だと思う。だが、これに異議を唱え、沖縄と連帯する人は着実に増えている。運動の輪が広がっている。基地引き取り論は基本的に支持できないが、沖縄と連帯する動きから出てきたことは踏まえたい。

 辺野古や高江で多くのヤマトンチュの方々が闘っている。そこにはウチナーンチュとの対立はない。同じ人間として軍事基地を造らせないという人間関係ができている。本土にも基地被害に苦しむ人たちがいる。被害の苦しみを引き取れとは言えない。それを言うと「命こそ宝」という精神の普遍性が損なわれる。私たちは人殺しや戦争は嫌だから反対している。基地を引き取れとは言えない。

 

新垣毅氏

新垣毅氏 差別許す責任逃れられず

 このシンポジウムは私の本『沖縄の自己決定権-その歴史的根拠と近未来の展望』(高文研)の出版記念を兼ねて第1弾が行われ、今回第4弾だ。私は本土の皆さんに沖縄の自己決定権を尊重し、植民地主義と決別してほしいと訴えてきた。基地引き取り論は本土で広がってほしいと思っている。

 成澤さんから当事者意識の話があった。米軍の戦争に加担している加害者としての沖縄の当事者性もあるが、歴史的な差別政策が今も進行し、結果的にそれを許してしまっていることへの責任、その当事者性もある。

 消費税に反対しても、法が通れば税を払わざるを得ないように、沖縄への差別政策に反対していても、国民全体として結果責任から逃れられない。

 その責任に向き合い、沖縄の基地集中を解消していくことは、安保体制の見直しだけでなく、アジア周辺諸国との共生をどう実現するかにもつながるはずだ。

 

【登壇者】

■パネリスト
 高橋哲哉氏(東京大大学院教授)
 成澤宗男氏(ジャーナリスト)

■進行役
 前田朗氏(東京造形大教授)

■コメンテーター
 芦澤礼子氏(元衆院議員秘書)
 木村辰彦氏(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
 新垣毅氏(琉球新報東京支社報道部長)