<基地「引き取り」論の射程 仲里効氏に答える>上 高橋哲哉


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沖縄差別の解消優先 安保体制を問う突破口に

大阪市で開催された集会「辺野古で良いのか もう一つの解決策」で基地引き取り論を主張する筆者(右)=2015年7月12日

 本稿は基本的に、本紙に掲載された仲里効氏の「沖縄戦後思想史から問う『県外移設』論」(本年1月)への応答である。応答が遅くなったのは、「県外移設/基地引き取り」をめぐる議論をより開かれたものにしたいという編集部の意向で、伊佐眞一氏、知念ウシ氏の論考が先に掲載され、その後も仲里氏と知念氏との間でやり取りが続いたためである。筆者はヤマトゥンチュであり、伊佐、知念両氏とは立場が異なる。だがウチナーンチュの立場から発せられた両氏の仲里氏への反論には、強い説得力を感じた。本稿では、筆者の「基地引き取り」論に対する仲里氏の批判の中から、とくに日米安保体制と「戦争の絶対否定」との関係を中心に論じてみたい。

二段階改良主義

 筆者は前稿(「今こそ『県外移設』を 新基地阻止への道筋として」昨年11月)でも述べたように、日米安保体制の解消をめざす立場である。沖縄からの「基地引き取り」は安保解消の目標と矛盾せず、むしろ「基地引き取り」の提起は現状で安保見直しの議論を起こすための大きなきっかけになる、と考えている。

 これに対して仲里氏は、「8割の日本人の安保賛成を前提にした負担平等は、安保をもって安保体制をなくそうとする二段階改良主義にして体制内差別解消であり」、「安保をもって安保体制をなくすことはできるだろうか。否である」と批判する。しかし、もっともらしく聞こえるこのレトリックは混乱している。

 仲里氏は「二段階改良主義」(「体制内差別解消」)を批判する。筆者の論を、第1段階で基地を本土に引き取り、第2段階で安保解消を企てると理解しているからだろう。だがそうだとしたら、これを「安保をもって安保体制をなくす」と言うことはできない。

 第1段階では、日本政府の安保政策を安保支持8割の世論が支える現状を踏まえ、沖縄差別の解消を優先し安保を前提として基地を引き取る。こうして米軍駐留を政治的に選択してきた本土で基地を負担したうえで、日本からの米軍基地撤去をめざして安保解消を訴えていく。つまり、「基地引き取り」論でも、「安保をなくす」のは当然「安保反対」によってであり、ただそれが本格的に問題になるのは第2段階においてだ、というだけなのだ。

 実際は、二つの段階を截然(せつぜん)と分ける必要はない。筆者はたいてい、「私は安保体制に反対であるが、安保体制の維持を望むなら沖縄の基地は本土に引き取らねばならない。それができないなら(74%もの基地をだれも負担しようとしないなら)、安保そのものを見直すしかない」と述べることにしている。つまり「引き取り」を提起しつつ、安保反対を唱(とな)えることは可能なのだ。そしてこの場合でも、「安保をなくす」には「安保見直し」の議論を広めなければならないのだから、「安保によって安保をなくす」わけではない。

軍事力完全解消

 「二段階改良主義」の咎(とが)で筆者を批判する仲里氏は、裏を返せば「一段階革命主義」なのだろう。二段階がだめなら当然、それ以上の段階を踏むのはもっとだめであり、沖縄からの基地撤去は、同時に、一度に、一挙に、「安保条約の廃棄と日本の軍事力の完全解消」でなければならないのだろう。

 「基地移設論の手前で踏みとどまること、少女を凌辱(りょうじょく)した戦争器官を“いま”と“ここ”においてなくすこと」と仲里氏は言う。沖縄県外への基地移設は認めず、沖縄の“いま”と“ここ”において一度に、基地の廃止、安保条約の解消、日本の軍事力の完全解消を実現しなければならない、というのだ。

 仲里氏の思いも分からないではない。在沖基地撤去と同時に安保条約廃棄、日本の軍事力の完全解消が実現し、それにより沖縄と日本の人びとが東アジアと世界の中で平和に暮らしていけるようになるなら、それは願ってもないことだろう。しかし、在沖基地の撤去、安保条約の廃棄、日本の軍事力の解消は、つながってはいるものの別の三つの事柄である。沖縄からの全基地撤去が実現しても、安保条約が解消されるとは限らないし、安保条約が解消されても、自衛隊が解体されるとは限らない。この国の世論、政治家や官僚の傾向、全国紙・地方紙などジャーナリズムのスタンスなどを考えれば、安保条約の廃棄、日本の軍事力完全解消のハードルがいかに高いかは明白だろう。

安保への賛否

 そこで「基地引き取り」論は、第1段階として(「安保条約を解消するまでは」)あるいは条件法的に(「安保条約を維持するならば」)、何よりも沖縄への基地集中の解消を優先する。安保支持8割の世論に向き合い、安保を解消せずとも可能な沖縄からの基地引き取りを訴え、安保への賛否を超えて沖縄からの基地撤去の世論を作っていく。

 仲里氏が引用する「安保条約の廃棄と日本の軍事力の完全解消」という言葉を、川満信一氏が記したのは1970年。それから約半世紀、日本の革新勢力はこの目標を実現できなかったばかりか、見る影もなく衰退している。筆者個人はこの目標を諦めてはいない。しかし、従来と同じ「安保反対」のスローガンだけで事態は動かないのが現実である。「基地引き取り」論は、こうした現実を踏まえ、安保支持者でも賛同可能な在沖基地の本土移設を訴え、沖縄差別を解消しつつ、安保体制そのものの是非を問い直す突破口をも拓(ひら)こうとするのである。

 高橋哲哉(たかはし・てつや) 1956年福島県生まれ。東京大学大学院教授。専門は哲学。著書に「沖縄の米軍基地 『県外移設』を考える」「犠牲のシステム 福島・沖縄」「靖国問題」など多数。