沖縄支えた移民の支援、故郷への思い 戦前戦後、送金や物資


この記事を書いた人 金城 美智子
   戦前の海外移民の送金額

 第6回世界のウチナーンチュ大会には、100年以上前に移民した県民の子弟が多く参加する。移民1世は過酷な労働に耐えながら移民先で足場を築き、戦前、戦後と母県の沖縄を経済的に支えた。琉球大学名誉教授の石川友紀さんの調査によると、1900年の移民送金額は480円。移民の増加に伴い、送金額は1908年には67万5147円に達した。

 29年の移民の送金額は170万円を超え、県歳入に占める送金額の比率は66・4%に達した。30年代は県歳入に占める移民の送金額は3割を維持。世界恐慌の影響で「ソテツ地獄」と呼ばれる経済危機に陥っていた戦前の沖縄を、移民が送金で救った。

 戦後は「戦災沖縄救援運動」が各地で起こり、さまざまな物資が沖縄へ届けられた。真っ先に救援運動を起こしたのはハワイの県人だ。45年10月29日「沖縄衣類救済会」を組織。学校、協会、寺などに衣類募集所を設け、約1カ月で1769箱(151トン)の衣料を集め、発送した。各県人会の機関誌「救援ニュース」も発行され、組織的な救援運動が51年ごろまで続いた。