救援の豚 古里支え ハワイへ「にふぇーでーびる」 宜野湾の米須さん感謝伝え笑顔


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「世界のジノーンチュ歓迎の夕べ」に参加する米須清行さん=28日夜、宜野湾市真志喜のラグナガーデンホテル

 第6回世界のウチナーンチュ大会2日目となった28日は、各市町村の歓迎会や海外県人と県民による討論会などがあり「語やびら」で絆を深めた。かつて母県の危機を救った移民の貢献に感謝するとともに、平和な沖縄、豊かな文化を持つ沖縄の将来について一緒に考えた。

 【宜野湾】戦後の県民を救うためにハワイの県系人から輸送された豚や別の海外県系人からの馬を譲り受け、戦後の混乱を乗り越えた宜野湾市長田の米須清行さん(92)は28日、市真志喜のラグナガーデンホテルで開かれた「世界のジノーンチュ歓迎の夕べ」に出席した。「寄贈いただいたおかげで宜野湾は立派に発展を遂げている」と県系人に感謝の言葉を述べた。

 沖縄戦で荒廃し、食糧難に直面した県民を救うため、ハワイから豚550頭が送られた。1948年当時、養豚業に携わっていた米須さんは宜野湾村(当時)が開いた抽選会に参加し、豚1頭を引き当てた。

 「大きくて島の黒豚より繁殖力も段違いだった。宜野湾の戦後復興の第一歩になった」と振り返る。馬の抽選でも1頭を引き当てた。譲り受けた後、順調に養豚業は進むようになった。生活も豊かになり、子ども6人を育て上げた。

 舞台に立った米須さんは「今ではハワイの豚の子孫が県内各地に広がっている。沖縄振興に大きく寄与した」と説明し「にふぇーでーびる、テンキュー」と声を張り上げた。あいさつを終え「感謝の気持ちを伝えることができて最高の気分だ。長生きして良かった」と笑顔だった。

 ハワイ在住のウチナー民間大使、田里ジョン友起さん(75)は「古里に送った豚について関心を持っていた。県内に広がり、今でもつながっていることが非常に喜ばしい」と語った。