平和の礎刻銘者、戦没の日 誤登録 遺族「管理が不十分」


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 沖縄戦の戦没者を刻銘した「平和の礎」用の記録で、刻銘者の生年月日より早い日付の死亡年月日が登録されている事例が見つかった。遺族が平和祈念資料館のデータベースで検索した際に気付いた。平和の礎を所管する県平和交流・男女参画課の担当者は「システム障害の可能性がある」とみている。誤登録に気付いた遺族は「戦没者の存在を軽視している。管理体制が整っていないのではないか」と憤る。記録は今も修正されていない。

 「平和の礎」は1995年に建立された。建立当初の礎に刻銘されている戦没者名は、各字長や区長らから聞き取り調査で判明したもの。住所や死亡場所など、詳細不明なものも多い。

 糸満市に住む大城絹枝さん(65)が2010年、沖縄戦で亡くなった兄、當銘寛市さんの刻銘板に花を手向けようと平和の礎を訪れ、平和祈念資料館のデータベースを検索したところ、當銘さんの死亡年月日が「昭和20年4月11日」と登録されており、生年月日の「昭和20年5月10日」より早い日付で登録されていることに気付いた。

 大城さんは「戦後72年がたとうとしている。『戸籍がないから仕方ない』で済まされる問題ではない」と指摘した。