<福島第1原発、被災地ルポ>廃炉作業、道険し 7万人帰れず、消えた人影


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 東日本大震災で爆発事故を起こした東京電力福島第1原発では10日、1号機の原子炉建屋を覆うカバーの解体が完了した。使用済み核燃料プールから燃料を取り出すための作業の一環だが、廃炉までは今後30~40年を要する。一方、周辺一帯は避難指示区域に指定され、今も約7万400人が帰宅できないままだ。琉球新報を含む共同通信加盟新聞社の論説委員は17、18の両日、福島第1原発の敷地内と被災地の状況を取材した。事故から5年8カ月が経過した現在も放射能汚染の爪痕が深く残る現地の様子をルポする。
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福島第1原発の3号機。水素爆発でコンクリートの壁が吹き飛び、鉄筋があらわになっている=17日午後、福島県大熊町の同発電所

 福島第1原発の敷地内に入るには、入退域管理棟のゲートを通らなければならない。入構許可カードをかざし、6桁の暗証番号を押すか指認証で扉が開く。作業服を着た人々が次々と手慣れた動作で、敷地内に吸い込まれていく。胸元に刺しゅうされた会社名はさまざまだ。60代とみられる初老男性から20代と思われる茶髪の若者まで、年齢層も多様だ。大半が男性だが、女性の姿も見掛けた。

■「普通の現場」程遠く
 ここで働くのは東京電力の社員1200人と「協力企業」の作業員約6千人の計約7200人。9階建ての大型休憩所には昨年6月に食堂が開業し、今年3月にはコンビニエンスストアが営業を始めた。
 敷地内は放射性物質に汚染された土壌を取り除く作業を進め、空間放射線量を下げるための地表をモルタルで舗装する作業を大半で完了させた。このため放射線量が依然高い原子炉建屋周辺を除いて、放射線防護服に全面マスクを着用する区域が狭まった。通常の作業服に防じんマスクで従事する作業員が多く見受けられた。
 入退域管理棟の線量は0・3マイクロシーベルト。これに対して原発周辺の帰還困難区域は除染が進まず、国道6号を走るバスでの計測では3マイクロシーベルトの数値を示した。原発敷地内の方が線量が低いという不思議な現象が起きていた。
 しかし敷地内に90カ所のある線量計のうち、1号機の近くにある計測器は1583マイクロシーベルトと高い数値のままだ。案内をしてくれた東電広報部の担当者は「われわれは早く普通の現場に戻したいと思っている。しかし実際はまだまだ普通には、程遠い」と話し、放射能汚染の影響が続く現状を吐露した。

■事故後対応に終始
 バスで3号機の横を通った。水素爆発でコンクリートの壁が吹き飛び、いたるところで鉄筋が飛び出ており、爆発の衝撃の大きさを物語っていた。カバーが取り外された1号機も爆発によるがれきの塊がむき出しになっていた。
 「この5年8カ月は事故後の対応に力を注いできたということだ」。広報担当者はこう述べる。つまり現時点まで、廃炉に向けた作業を始めるための環境整備だけに膨大な時間を費やしてきたことを示す。
 最大の難関とされる溶け出した核燃料(燃料デブリ)の取り出しは2021年までに開始する方針だ。しかし高い放射線量に阻まれ、原子炉内のデブリの状況を十分に把握できていない。
 「敵(デブリ)がどの位置にあって、どういう形にあるのかが分からないと戦えない」。広報担当者はこう説明しており、廃炉に向けた道のりは遠く、険しそうだ。

■住民半数が「戻らず」
 3種類の避難指示区域のうち、放射線量が高く、立ち入りが制限されている帰還困難区域には現在も7市町村の一部が指定され、約2万4千人が帰宅できないままだ。観光名所でにぎわっていた富岡町の夜の森地区の桜並木の通りは、区域内のため人影の姿は見当たらず、ひっそりしたままだ。
 町の約8割が帰還困難区域に指定されている浪江町。約2万1千人の町民全てが町外に避難している。町は「ふるさとなみえを再生する」との方針で復興計画を進めるが、昨年実施した避難指示解除後の帰還意向調査では48%の町民が「戻らない」と答えている。
 馬場有町長は「これだけひどい目に遭った。原子力に頼らないまちづくりを進めたい」と話す。日本各地の原発再稼働について質問が及ぶと「あり得ない。絶対に反対だ」と語気を強めた。(松永勝利)

夜の森地区の桜並木。観光名所だったが、居住できない帰還困難区域に指定され、人の気配がない=18日午前、福島県富岡町