「よく頑張った」「夢をありがとう」 家族、関係者らねぎらう


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 沖縄水産高校時代から全国で知られ、プロ野球で活躍していた新垣渚投手(36)=那覇市出身、九州共立大出=が現役引退を決めたことが29日、分かった。今シーズン終了後、ヤクルトから戦力外通告を受けていた。今月末まで他球団からのオファーを待つ方針だったが「各球団からの連絡が来ず、引き際を考えると今なのかと思った」とした上で、沖縄のファンに「皆さんの声援でここまで頑張ることができた」と感謝した。

 「よく頑張った」「夢をありがとう」。現役引退を決めた新垣渚投手へ、かつての指導者や野球関係者からは新垣のプロ14年の踏ん張りをたたえる声が送られた。いつか沖縄で「指導者になって」と期待する声も上がった。

 沖水、九州共立大と野球部で同級生、現在は沖縄電力野球部のコーチを務める大城直也氏(36)は「長い間、皆の夢に応えて頑張ってくれてありがたい」と友をねぎらう。同じ部で競う間は「悔しい」気持ちもあったが「やはりプロに行く選手だと思えるくらい、誰よりも練習していた」。共立大卒業後、野球部の7人で共有するメールやLINE(ライン)での交流を続ける。「次の人生も、プロで有名になった渚の名前が沖縄で語り継がれていけばいい」と期待した。

 九州共立大時代の監督で現在はスポーツ学部教授の仲里清氏(62)には29日、本人から「まだ頑張れると思ったがオファーがなく引退を決めた」と穏やかな口調で電話があったという。中学時代から素質を見抜き、沖水進学を勧めるなど20年来の付き合いに「思い出が深い。高校から将来の大器、歴史を作る選手になると信じていた」。今後は「まだ人生は長い。これまでの練習のありがたさをかみしめ、生かしてほしい」と言葉を贈った。

 本人から電話連絡を受けたという母親の八重子さん(60)は「よく頑張ったね、お疲れさま」と伝えた。少年野球をしていた兄の九州遠征に「お利口にするから飛行機に乗りたい」と同行したのが新垣投手5歳のときだという。「飛行機に乗りたいという目的から(野球人生が)始まったようなもの。面白いね」と八重子さんは振り返る。「好きなことができて幸せだった。子どもたちに夢を与えてほしい」と感慨深げに語った。

 「残念だが、力の限界か」。沖水高時代、県高野連理事長だった安里嗣則・現学識経験者評議員は引退を惜しみつつも「今後は沖縄の少年や高校野球に携わることに期待したい。優秀な中学生が県外に流出する歯止めにもなってもらえれば」と大きな期待を寄せた。

第70回選抜高校野球への出場を喜ぶ沖水時代の新垣渚(後列右上)=1998年1月31日、沖縄水産高校