那覇軍港の浦添移設、翁長知事が容認 「新基地でなく民港」


この記事を書いた人 志良堂 仁
那覇軍港の浦添移設に関して会見する翁長雄志知事=9日午後8時ごろ、県庁

 翁長雄志知事は9日の県議会一般質問で、那覇軍港の浦添地先移設について「儀間(光男浦添)市長(当時)の英断でやられた中で港湾内の整理整頓の範囲内ということで、(私も)那覇市長時代に認めてきた。(知事としても)認めるということになる」と翁長県政の姿勢を説明した。その後の会見で「新基地というより民港。港湾内での移動」と述べ、那覇軍港の移設先の施設は辺野古新基地のような新基地ではないとの認識を強調した。

 翁長氏は知事選時のアンケートでも軍港の浦添移設を「容認」としていたが、知事就任後に公の場で容認発言をするのは初めて。

 会見では「浦添は新しく造成地を造り、港湾を造り、その一画に位置するわけで、いずれは返還される。市民の本当の財産になっていく。固定資産税の財政収入が予測できると、受け入れの自治体がそういう形で理解いただいたのも大きい」とも語った。

 那覇軍港の浦添地先移転を巡っては2001年に儀間浦添市長が受け入れを表明。03年に那覇港湾移設協議会で防衛施設庁から位置と形状の案が示され、県と那覇市、浦添市が了承した。その後、城間幹子那覇市長も容認し、松本哲治浦添市長は1期目の選挙戦中は浦添移設に反対を掲げたが、市長就任後に容認に転じた。

 那覇軍港の浦添地先移設は軍港全面返還の条件として1996年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告に盛り込まれた。那覇軍港の返還自体は74年の日米安全保障協議委員会で移設条件付きの全部返還が合意されていた。