戦争、差別 舞台で問う 捕虜殺害の祖父、旧同和地区育ちの自分 有馬理恵さん(俳優座女優)


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アリランの碑の前で「慰安婦」にさせられた女性を演じる有馬理恵さん=4月2日、宮古島市(富士国際旅行社提供)

 B級戦犯だった祖父の戦争責任、旧同和地区で育ったという自らのアイデンティティーと向き合い、演劇を通じて戦争や差別のない世の中を訴えている女優がいる。劇団俳優座所属の有馬理恵さん(44)=東京都。有馬さんは祖父の体験をたどり、芝居では慰安婦にさせられた女性たちを演じる。「祖父の戦争責任と向き合うのは今でも怖い。でも二度と同じことを起こさないためには知らなくてはいけない」と話している。

 有馬さんの母方の祖父陸路(むつろ)富士雄さん(享年88)は第28師団の参謀として沖縄戦中、宮古島に駐屯。米兵捕虜の射殺を命じた罪で戦犯裁判にかけられ、懲役35年の判決を受け10年服役した。

 祖父と初めて会ったのは16歳の時。有馬さんの母は両親の反対を押し切り、旧同和地区で育った男性と結婚。以来、家族とは絶縁状態だった。

 初めて会った孫、17年ぶりに会う娘に祖父は「玄関まででそれ以上は入るな」と言った。「差別とは何だろう」。有馬さんは1年間考えた末、再び祖父の元へ。玄関で追い払った理由を問う孫に、祖父は満州でどれだけの人を殺したかという自慢話を始めた。そして途中で急に「僕の頭には天使と悪魔がいて、悪魔がずっと勝ち続けていたんだ」と涙を流した。「軍人の狂気」を見た気がした。

 それからしばらくは怖くて祖父の戦争体験は避けてきた。しかし今から11年前、息子が生まれてから変わった。「息子に祖父と同じ道を歩ませたくない」。息子と共に図書館に足を運び、研究者の元をたずね祖父の体験を知った。

 差別を扱った舞台をライフワークとし、「慰安婦」も演じ続ける。祖父が駐屯した宮古島ではアリランの碑の前で芝居を披露した。宮古島には少なくとも17カ所の慰安所があったことが分かっている。「祖父は慰安所設置に関わっていただろう。その孫がここにいていいのか」。葛藤もある。 「戦場では天使は勝てないかもしれない。それなら悪魔が勝つ世の中にしてはいけない。戦犯の孫だからこそ伝えられることがある」と強く誓い舞台に立つ。

 有馬さんの講演会が26日午後6時半から那覇市前島のホテルリゾネックス那覇である。参加費は500円(要予約)。予約、問い合わせは富士国際旅行社(電話)03(3357)3377。(玉城江梨子)

<用語>宮古島戦犯事件
 1945年4月29日、米軍の艦載機が宮古島で墜落。乗っていた米軍少尉が捕虜としてとらえられた。捕虜の身柄は日本本土や台湾に送るのが困難として留め置かれ、爆弾の除去などの危険な仕事をさせられていたが、米軍が上陸してきた時に軍の配置を話す可能性があるとして、7月11日、野原岳麓のくぼ地で、第28師団の兵士によって射殺された。関わった兵士4人がB級戦犯として懲役刑を受けた。捕虜殺害など非人道的扱いはハーグ陸戦条約で禁止されている。