校歌探訪 国頭村立安田小学校


この記事を書いた人 上原 康司

 陸の孤島と呼ばれた国頭村安田区。主な交通手段は陸路と海路で、与那に続く横断線ができるまでの陸路は、険しい山道を6時間かけて越えなければいけなかった。本島に位置しながらも、生活を支えているのは主に海路だった。地域に住む人々は「島チャビ(離島苦)」解消を目指し、大きな志を持って巣立っていった。その精神が安田小学校の校歌に刻まれている。
 安田小に校歌が生まれたのは1950年。校歌を作詞した区出身の宮城定盛さん(故人)を「父のようだった」と話す神山坦治さん(76)は「海幸おどる安田か島 太平洋を庭として」の部分が好きだ。「スケールが大きく、世界をまたにかける詩だ」と感じている。