祖父・常盛さんの親戚、どこに… チリ県系3世・神里さん来沖3年


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75歳で帰郷した時の神里常盛さん(前列中央)と兄嫁のカナさん(同右)とカナさんの妹の糸数節子さん(同左)=1980年8月29日付琉球新報より

 南米チリ出身でスペイン育ちの県系3世、神里・オレジャナ・マユミさん(23)が、祖父の神里常盛さん(享年93)=那覇市泉崎出身=の親戚を捜すため3年前から来沖している。マユミさんが持つ手掛かりは、常盛さんの戸籍と37年前の1980年に常盛さんが帰郷した時の新聞記事。二つを頼りに常盛さんの兄嫁、神里カナさんの関係者を捜しているが、たどり着けていない。マユミさんは「家族みんなが沖縄の親戚に会いたがっている」と、一家の思いを胸に捜し回る日々を送っている。

 常盛さんは1906年2月28日、常仁さん、マカトさんの三男として生まれた。本籍地は那覇市泉崎1の14の8。20年9月、14歳の時に単身でカナダ、米国を経由し、チリに渡ったという。目的地はペルーだった可能性があるが、スペイン語を理解できずに船を乗り過ごしてしまい、チリにたどり着いた可能性があるという。県系人が少ないチリで何とか生計を立て、永住権を獲得。しかし、密入国扱いの上、戦争で沖縄の戸籍が消失してしまっていたためパスポートを取得できず、60年間、帰国することができなかった。

新聞記事と戸籍を頼りに祖父の親戚を探しているチリ出身の県系3世神里・オレジャナ・マユミさん=6日、浦添市

 事情を知った那覇市職員が80年に戸籍を復活させ、常盛さんは75歳の時に一度だけ帰国することができた。その際、兄嫁のカナさん、カナさんの長女の真喜志ヨシさんと次女の仲本春子さん、カナさんの妹の糸数節子さんと対面した。カナさんは金武村浜田(当時)の住所からチリの常盛さんに手紙を出していたが、対面を伝える新聞記事によると、カナさんは当時、沖縄市山内に住んでいた。

 マユミさんは常盛さんの戸籍を復活させた元那覇市職員と常盛さんの本籍地を訪ねたが、血縁関係のない赤の他人が住んでいた。カナさんの金武町の住所も訪ねたが、空き地だった。当時の新聞記事には沖縄市山内の住所も記載されていたが、切り抜いた記事は古くなってしまい、文字が不鮮明で住所を訪ねることがまだできていない。

 昨年、糸満市の平和の礎を訪ね、常盛さんの兄とみられる「常隆」「常貞」の名前を発見したが、戸籍に名前はなく、確証が持てない。

 日本語が話せないまま来沖したマユミさんは、日本語学校で語学を学んで専門学校に進学し、4月に卒業する。卒業後も日本で就職して親戚捜しを続ける予定だ。「祖父の記憶はないが、日本が大好きだったと父から聞いている。チリ人の母も、祖父の親戚に会えるのを楽しみにしている」と語った。