『それからの琉球王国』 「当然の前提」疑い検証


社会
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『それからの琉球王国』来間泰男著 日本経済評論社・上3888円、下3456円

 本書の刊行によって、来間泰男『シリーズ沖縄史を読み解く』は最終刊となる。経済学者来間が歴史家の研究成果を読み解いていくという作業に、私たち歴史教育者が範としなければならないものを見いだす。それは、研究成果に納得するだけでなく、論証しきれていない点を追求するという営みである。

 歴史教育の内容として最も重要と思われる問題に絞って考察する。それは、地域支配者が統合されて「琉球王国」が生まれたという歴史家が当然の前提としたことに疑問を提示した点である。来間は明帝国の必要によって「琉球王国」に仕立てあげられ、それゆえに地域を支配する「租税」はないと断言する。対外交易の衰退によって、16世紀以降は租税制度が形成されようとはするが、強制力を伴う租税の徴収はなかった可能性が高いという。

 この「租税」をめぐる議論を考察したい。来間は、グスクは「共同体」の利益を共同で守る場であり、按司は共同体の指揮者と位置づけ、ノロへの「かない」や労働を、シマ人の自主的な供物・奉仕と位置づける。さらに、来間は1535年の冊封使録『陳侃(ちんかん)琉球使録』と研究史を絡ませて、「租税はないと理解すべきである」と同時代史料を援用していい、首里王府が「臣下」に発給した辞令書で記される「かない」や「すかま」は「捧(ささ)げ物」から「租税」への過程だという。

 1580年代のノロの辞令書の中に、ノロのエケリ(兄弟)がシマ人を使役することは御禁制だという条項が出てくる。この史料から、エケリが地域有力者として夫役を行使することに対して、王府が抑制しようとしたものと私は読む。来間の議論では、シマ人のノロ一族への自主的な奉仕ならば王府は抑制できないはずである。来間は八重山に、17世紀の20年代にはすでに租税があったという。しかし、その史料は薩摩からの賦課のため、王府が「掟(おきて)」として通達したもので、以前からあったことを推論できるものではない。来間がいう「租税制度形成過程」を歴史家は検討する責めを負っている。
(里井洋一・琉球大学教授)

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 くりま・やすお 1941年那覇市生まれ。沖縄国際大学名誉教授。著書に「戦後沖縄の歴史」「沖縄の農業(歴史のなかで考える)」など多数。日本経済評論社から「沖縄史を読み解くシリーズ」全5巻を刊行した。

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