砲弾30個超、山積み 火薬抜き取りで死者も 渡嘉敷ハナリジマに沖縄戦の残骸


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阿波連ビーチの沖合に浮かぶ離島(ハナリジマ)

 渡嘉敷村の阿波連ビーチの約1キロ沖合に浮かぶ南北約600メートル、東西約250メートル、面積0・1キロ平方メートルの小さな無人島「離島」(ハナリジマ)は阿波連区の歴史が刻まれた由緒ある島だ。この島の海岸に終戦直後から火薬が抜かれた砲弾の残骸が現在も横たわり、戦後の沖縄の消せない傷痕が残っている。

 この島では1950年ごろから65年ごろまで、漁師が密漁用のダイナマイトを作った歴史がある。米空軍が管理する「鳥島」(別名・久米鳥島)の軍事施設「鳥島射爆撃場」での射爆訓練で使用した爆弾の不発弾や、沖縄戦の不発弾をサバニで持ち込み、火薬を抜き取って作っていたという。火薬抜き取り作業中に誤って砲弾が爆発、即死や両腕などを失った漁師が何人もいると、島の長老らは言う。

 海中には100キロを超す砲弾の残骸があり、干潮時にはその姿を現す。陸の砂場にも100キロ未満の砲弾の残骸が山積みされているのを見ることができる。

ハナリ島の砂場に山積みされた砲弾の残骸=11日

 大小30個以上の砲弾の残骸が横たわっているのを確認した。

 島の漁師、新里武光さん(80)は「若い頃糸満の漁師が渡嘉敷海岸のリーフ沖でダイナマイトを爆発させ、イラブチャー、グルクンなどの魚を捕っていた。そのおこぼれを拾ったこともあり、島人は“糸満のダイダマー”と呼んでいた。約45年前に糸満の知人の漁師からも不発弾をハナリ島に運び込み、爆薬に利用して慶良間諸島などで密漁していた話を聞いた」と証言した。

 阿波連区民の中にも不発弾の切断中に爆発し、亡くなった方もいるという。

 ハナリ島は琉球王府時代に久米島の祭祀をつかさどる“君南風”(チンベー)が首里に往来する途中に船が逆風に遭い、航海できなくなって上陸し、風変わりを待って数日滞在した。その話を聞いた阿波連区の神子らが島に渡り、ごちそうを与え、歌や踊りの遊びをして“君南風”を慰めたという伝承があり、それから阿波連区の浜下り行事が始まったという。

 区民が島に渡る浜下り行事が区主催で現在まで続き、区民らの崇拝する島でもある。阿波連小学校の伝統行事「ハナリ島遠泳」、観光客らが船で島に渡る無人島見学、潮干狩り、ダイビングスポットなど観光、教育資源の島となっている。(米田英明通信員)