【キラリ大地で】アメリカ 加州の大学に留学中の玉置麻侑さん


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英語で琉舞を伝える

北米沖縄県人会の基金集めバザーで琉球舞踊を披露した玉置麻侑さん(手前中央)=昨年9月26日、カリフォルニア州の北米県人会

 「琉球舞踊を披露し、英語で説明する機会を自分で設けることが目標の一つ」―。2016年1月からカリフォルニア州のグレンデール・コミュニティーカレッジに留学している玉置麻侑(たまきまゆ)さん(25)は笑顔を見せる。15年3月に県立芸大大学院を卒業後、国際的な琉球舞踊になることを夢見て米国に足を踏み入れた。留学後半年ほどして琉舞について説明する機会があったが、英語に不自由を感じ、満足のいく説明はできなかった。だが、周囲の人の助けも借り、課題を克服しながら前進している。玉置さんは「英語で琉球舞踊や沖縄の文化について現地の方たちに説明できるようになりたい」と目を輝かせながら抱負を語った。

 神奈川出身の父、沖縄出身の母の下で東京都で生まれた。6歳の頃から琉舞を始めた玉置さんは、ミュージカルや舞台に興味を持つようになり、私立関東国際高校の演劇科を卒業。その後、本場である沖縄で琉球舞踊の勉強をするため県立芸術大学に入学。10年琉球古典芸能コンクール新人賞、13年琉球古典芸能コンクール優秀賞を受賞した。

 大学時代に「2014 国際会議」に参加した際、海外の人に沖縄の文化を紹介する機会があった。「沖縄の素晴らしさを自分の言葉で説明したい」。言葉が通じないことで沖縄の文化をうまく紹介できないことにもどかしさを感じ、英語の必要性を強く感じた。

 そんな時に県費留学の募集を見つけて応募。留学先をアメリカにした決め手は「ブロードウェーのミュージカルやハリウッドの映画などが盛んな場所で英語と舞台について学べる」という理由だった。

 ロサンゼルスに着いてから、現地の環境に慣れるまではカルチャーショックと英語力のなさに落胆する毎日。そんな中でも自分でできることを見つけたり、覚えたての言葉を話したりした。「自分の英語が通じた時の喜びは日本では感じられない」と話す。

グレンデール市で行われた「琉球舞踊公演」のチラシに掲載された玉置麻侑さん

 沖縄や琉舞について英語で紹介するという目標は、留学後半年ほどで実現するチャンスに恵まれた。失敗する不安もあり「とても大変だった」と振り返るが、周りの人たちが応援し、協力してくれた。英語での説明を終え、たくさんの反省点が見つかった。「挑戦してみなければ、反省点や改善すべき点はずっと分からないままだ」と悟った。

 県立芸大に入学し、勉強した6年間を振り返り「踊りだけでなく私生活でもさまざまなことを教えてくれた玉城流玉扇会2代目家元の玉城秀子先生の下で学んだ日々が忘れられない」という。

 先日、グレンデール・カレッジで催されたダンスの舞台で、創作舞踊を披露した。ダンス専攻の生徒やプロのダンサーがいる中、オーディションに合格し、舞台に立つことができた。「これまでの経験がなければあの舞台に挑戦することさえもできなかった」

 県立芸大に在籍中、何度か休学して留学しようかと思ったこともあったという玉置さん。「今となっては県立芸大を卒業し、次のステップとして留学することを選択して良かったと感じる」。国際的な琉球舞踊の教師になるという夢に向け、挑戦し続ける。(当銘貞夫通信員)