『良医の水脈』 沖縄医療史の「証人」


社会
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良医の水脈―沖縄県立中部病院の群像

『良医の水脈』安次嶺馨著 ボーダーインク・1944円

 終戦直後から昭和40年代頃まで医療状況が日本一貧弱であった沖縄が、今や救急や初期医療体制で全国から注目されるレベルに向上、県立中部病院(以下、中部病院)は若い医師の初期臨床研修のメッカとして、全国から多数の応募者が集うまでに発展している。

 しかしここに至るまでの道のりは平たんではなく、非常に熱心で情熱に満ちた優れた指導者と、彼らを支えた病院内の種々の職種の人々の約半世紀にわたる並々ならぬ辛苦と必死の努力の結果であることを、著者は指導医の一人でかつ現在も奉職中で歴史の証人として、流麗な文章で記述している。豊富な資料を基に体系的に構成された内容は、戦後の沖縄医療史の貴重な側面が知られ、読者の興味を引きつける。

 中部病院は1966(昭和41)年からハワイ大学プログラムを導入し、全米各地から募集、派遣された指導医による米国式臨床医学教育が行われた。同プログラムは、住民の健康管理も不十分であった沖縄の医療状況を改善するため、研修病院としての中部病院を建設し、研修医指導を委ねる目的があった。

 本書の表題「良医の水脈」は、著者が真に強調したい主要項目である。素晴らしい国内外の指導者の薫陶を受けた研修医がその後、県内外の医療現場で患者中心の医療で社会貢献する中部病院の理念すなわち良医として活躍し、またある者は海外へ雄飛してさらなる発展を遂げて活動している様子を、約3分の1のページを使い氏名を挙げて詳しく紹介している。また、医師以外に病院の運営を支えてきた事務職を含む、種々の職種で貢献した方々の記述もあり、筆者の視野の広さがうかがわれる。

 研修病院の役目も担う病院運営には不採算部門も多く、ハワイ大学プログラムの遂行に米国民政府、琉球政府そして沖縄県と受け継がれて来た年3億円を超す支援金が重要な役目を果たして来たことも著者は言及し、謝意を表明するとともに、将来への期待も強くにじませて稿を終えている。当評者も郷土出身者の医療人としてこれを強力に支持したい。

 (山城雄一郎・順天堂大学医学部名誉教授)

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 あしみね・かおる 1967年、鳥取大医学部卒。2003年に県立中部病院院長、04年に県立那覇病院院長、06年から2年間県立南部医療センター・こども医療センター院長を務めて定年退職。