百按司墓「県文化財に」 今帰仁教委要望 琉球人骨、県と協議も


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今後の展望を語る今帰仁村教育委員会の新城敦教育長(左)、今帰仁歴史文化センター元館長の仲原弘哲さん=16日、今帰仁村教育委員会

 【今帰仁】昭和初期に京都帝国大学(現京都大)の人類学研究者らが今帰仁村運天の「百按司(むむじゃな)墓」から研究目的で持ち出した人骨が少なくとも26体、京都大に75年以上も保管されている件で、今帰仁村教育委員会は16日、百按司墓など関連する三つの墓について県指定文化財への認定を目指す意向を示した。16日、本紙取材に答えた。その上で保存の課題を踏まえ、人骨を県内に戻して地元で調査・研究を進めるべきか県や専門家とも議論し、調査を進めたい意向を示した。

 村教委は京都大の人骨を2004年に現場で確認している。人骨の年代や人物像はほとんど未解明のままだ。村教委は百按司墓、大北(うーにし)墓、津屋口(つやぐち)墓の三つを関連する墓として県指定文化財への認定を目指し資料の整理を進める方針。

 村教委の新城敦教育長は「もともとは百按司墓にあったので返還してもらいたい気持ちはある」とした上で「保存状態を保つために村で対応しようと思っても準備がかかる」と保存設備などの課題を挙げた。今後は県と連携し、県指定文化財への認定や調査を検討する。

 今帰仁歴史文化センター元館長の仲原弘哲さんは「(百按司墓に葬られたままなら)土になってしまっていたが、100年たってもしっかり残っている」と意義を指摘。「沖縄全体のものとして、まずは県指定に持っていけたらと思う。北山の歴史を描くことができる」と期待を込めた。

 一方、県教育庁文化財課の担当者は「今帰仁村から協力を求められれば、県教委としてできることがあるか検討したい」と話した。