遺族「賠償責任認めて」 台湾2.28事件から70年


社会
この記事を書いた人 志良堂 仁
台湾2.28事件に巻き込まれ、犠牲になったとされる父・石底加禰さんの遺影を抱く三女の具志堅美智恵さん=26日、豊見城市の自宅  

 台湾の国民党政権が住民多数を殺害した1947年の「2・28事件」から28日で70年。事件で犠牲になったとされ、台湾政府に賠償請求を申請している沖縄県出身の仲嵩實さん=当時(29)=と石底加禰(かね)さん=同(39)=の遺族らは27日、台湾で開催される追悼式典に参加するため現地へ向かう。石底さんの三女・具志堅美智恵さん(75)=豊見城市=は「台湾政府は賠償責任を認めてほしい」と改めて訴えた。

 与那国出身の仲嵩さんと石底さんは、台湾の基隆港で故障した船の部品を取りに行って事件に巻き込まれた。仲嵩さんの長女・徳田ハツ子さん(79)と具志堅さんは昨年11月、台湾政府に賠償請求を申請しているが、26日現在で台湾側の審査結果は出ていない。

 「父が事件に巻き込まれたのは私が5歳の時で、記憶はない」と語る具志堅さん。7年前に亡くなった母・光子さん=享年98歳=は、最後まで夫のことを娘に語らず「2月28日が命日だから忘れないで」との言葉だけ残した。具志堅さんは「母は父の死を認めようとしなかったので、一切語らなかったのではないか」と亡き母をおもんぱかった。

 台湾には事件の犠牲になった身元不明者の納骨堂があり、具志堅さんは昨年の追悼式典に参加した際、将来の鑑定に備えて自身のDNA型検体も提供した。「ぜひ遺骨も見つかってほしい」と期待を寄せた。

 「父の話をすると、苦労して私たちきょうだい4人を育てた母のことを思い出し、涙が出る」と声を震わせながら語った具志堅さん。「2・28事件真実を求める沖縄の会」(青山恵昭代表世話人)など関係者らと共に、28日午前は基隆市での沖縄犠牲者追悼儀式、午後には台北市での70周年記念中枢儀式に参加する。

 「2・28事件」とは、戦後、日本から台湾統治を引き継いだ国民党政権が1947年、台湾人の抵抗運動を弾圧した事件。運動の背景には大陸から渡ってきた政権の腐敗や横暴への強い不満があった。