『詩集 日々割れ』 現実への鋭い目と深い共感


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『詩集 日々割れ』うらいちら著 あすら舎・1620円

 私たちの日常は今深くひび割れている。しかし、支配層はひた隠し、巧妙に分裂を利用し対立させ、国家主義の幻想で埋め尽くそうとしている。

 うらいちらの新詩集『日々割れ』は、優しい言葉でユーモアもこめて現実の割れ目を鋭く表し、批評と抒情(じょじょう)が心に響く。1は、エジプトでの体験を「眼」「血」「足」「髪の毛」「手」と肉体を通して描いたのに注目した。魚の眼だけ凍らせて鮮度を偽装するしたたかさ、ほふられた牛の血、砂漠を生き抜く蟻の足の長さ、女子学生のスカーフに押し込められた髪などから、生身のエジプト人と生活の苦しさが伝わる。人を押しのけず軽く触る握手は異文化ではあるが、共感を抱かせる風習だ。

 2は、東日本大震災と福島原発事故、熊本地震について書き、危機意識が乏しくなる現在、重要な作品群だ。「波に/浚われたくない」「失いたくない/家族の/快楽を」と、家族を失った人々の無念に感情移入して胸を打つ。だが、「関東地域特産の芋」を送られながら「そこ」の空間線量が怖くて残りの甘藷(かんしょ)を捨て、罪悪感にかられる姿も率直に記す。被害者同士の裂け目は一番難しい問題だ。「地球のお腹のマントル」「ゲップも出る」と、地球も体として想像するのはおもしろい。

 3では、脅威に軍事面からさらに迫る。詩「鼻」では「玄海で原爆を仕込み/有明基地でひと儲け」という企(たくら)みを暴く。4では、家族への慈しみを情愛豊かに語っている。母の凝りをもみほぐそうとする詩「マッサージ」は感動的だ。「その痛みの中心/生き永らえさせたその凝りの中心」と、凝りは生の芯だろう。痛みは「九十年の苦労」の証である。

 うら氏が、家族の「絆」ではなく、「家族の/快楽」と表現する詩句に、国家的な家族ではなく、生命の喜びとしての人のつながりを思うのだ。沖縄の「命どぅ宝」は現在の文明社会に一番必要な言葉である。地球も体だ。日々の体と心のひび割れを命の中心から感じる大切さを本詩集は知らせてくれる。

(佐川亜紀・詩人)

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 うらいちら 本名・浦田義和。1949年熊本県出身。82年から10年間、沖縄国際大学で近代文学を教えた。現在は久留米大の比較文化研究所長。詩誌「あすら」同人。