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<メディア時評・3・11から学ぶ>公的情報は共有を 情報隠しは民主主義壊す


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 公的情報は国民のものである―。この当たり前の大原則が壊れかけている。日本でも21世紀の幕開けとともに情報公開法が施行され、知らしむべし拠(よ)らしむべからず、の上から目線の特権意識を捨て、政治家を含む公務員は国民に対し説明責任を負うことが法で明示された。

 さらにその10年後には遅まきながら公文書管理法も制定され、公的情報たる行政文書は公的資産であり、民主主義の礎であることも決まった。にもかかわらず昨今の相次ぐ事例は、行政の情報は公務員の独占物であって、特別な場合に限り「サービス」で住民に見せてあげるという意識から抜け出せていない、としか思えない。

公開の根底崩す「廃棄」

 情報公開制度の根底は、きちんと文書を保管・保存、整理し、いつ何時でも市民から開示請求があれば、それを閲覧の供に付すという流れが完備していることにある。その最初の1歩である、文書の保存が揺らいでいる。なぜなら、行政の都合の悪い文書は破棄する、というあまりに見え透いた悪弊が堂々とまかり通っているからである。あるいは、最初から記録をしないことを決めたり、さらには政治家圧力で事実を記載しないように誘導することまで公的に行われている事態がある。これらは、情報公開制度の趣旨を全く理解していない、最悪の行政運用だ。

 具体的には、南スーダンPKO派遣日報の事例において、文書規定に則(のっと)り現地での状況報告書である日報がすべて廃棄されていた問題だ。今回は、自民党内で問題視されたことで電子データの存在が明らかになり、問題の本質が明らかになりつつあるものの、防衛省はその検証は「しない」ことを機関決定するなど、問題意識が感じられない。

 公文書管理法では文書の保存期間を1年未満、1年、3年、5年、10年、30年としており、1年以上保存の行政文書はきちんと文書ファイル管理簿にも記載し、たとえ廃棄をしても記録に残ることになっている。そもそも、廃棄する場合は内閣総理大臣の同意(実際は所轄部門がするとしても)が必要となっている。しかし、1年未満文書は、担当者が勝手に捨ててよいばかりか、存在した証しが全く記録に残らない。だから廃棄しても、「もともとなかったこと」になりかねない。今回の日報はそうした存在であったのだ。

 組織としては、増え続ける行政文書への対応策として、1年未満というカテゴリーを作り、「大事でないと思われる文書」はどんどん捨てられるように決めているわけだ。したがってこれへの対応策としては、1年未満文書として廃棄できるものを限定列挙して、捨てさせない制度を作ることが必要ということになる。

「黒塗り」「自粛」問題

 もちろん今回の事例はこうした廃棄だけではなく、情報公開の根幹を揺るがすさまざまな問題を数多く包含している。その一つは、必要以上の「黒塗り」である。もともと防衛省はその傾向が強いが、これは昨今の豊洲移転問題でも明らかになったように、ある種の公務員の性癖ともいえるものだ。これについても精神論ではなく、条文上の規定でより厳密な縛りをかける、審査会や司法の場で開示請求を認める、などの制度対応をしていくことで、現場に「隠しても無駄」と思わせることが必要だろう。

 政治家圧力による記録の「自粛」も由々しき事態だ。政府見解との関係で、戦闘があってはならない地域で戦闘行為があったと記録されていることが国会で問題となった。その場では、大臣が誤魔化(ごまか)し押し切った形となっているが、今後、現場では同種の用語は決して使われることはないだろうし、もし現場自衛官が記載したとしても、すぐさま新しく書き換えられ差し替えられることになろう(実際、使用しないよう「指導」もなされている)。それが上意下達の組織というものだからである。ただしこれによって、事実が記録されず、その時の政権にとって都合のよい歴史が後世に残されるという事態を生むことになる。

時計の針が逆に

 このような「文書を捨てる・残さない」ことをよしとする組織風土は、3・11でも大きく問題になった。当時政府は、パニックを回避するという理由で情報を隠した。混乱期であったからという事情で議事録を残さなかった。あるいは原発対処のための日米合同会議のようにその会議が存在したこと自体もベールに隠されていた。そしてこれらについてはその後、多くの検証がなされてその必要がないばかりか、むしろこうした政策はよくなかったとされ、徐々に改善が図られてきた、はずだった。

 しかし今、事態はむしろ悪化しているのが実態だ。政府の情報秘匿体質はより強固となるばかりか、むしろ意図的に強めているといってもよい状況だ。それは経済産業省の全室電子施錠の開始を見ても容易に想像される。10年当時、具体化しつつあった情報公開制度の改善の動きは、震災を機にピタッとなくなり、その後、時計の針は完全に逆に回り始めたということになる。

 原発事故による放射線影響についても、政府が保有する正確な事実を可能な限りそのまま伝えることで、住民は初めて安心・安全を自分で判断可能になる。にもかかわらずたとえば環境省は議事録を改竄(かいざん)してまで事実を覆い隠し、住民に伝えない方策をとり続けている。これらは政府に対する不信感を強め、避難地域の指定解除や、新たな住宅補償政策についても疑心暗鬼を生むことになる。

 震災・原発関連の貴重な経験が、行政文書として6年間蓄積されてきている。国・地方自治体はこれらの文書を形式的な保有期限に則り破棄することなく、かつサービスではなく義務として住民に開示することを誠実に実行してほしい。政府の透明性確保の必要性を学んだはずの3・11から7年目を迎える今日、改めて情報共有によって正しい選択が可能な社会を作っていく必要があることを確認したい。
 (山田健太 専修大学教授・言論法)