「民泊で戦争伝えて」 東村で元農林学徒・瀬名波さん 「最期の碑」を案内


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 【東】東村で修学旅行生らの民泊を受け入れる人々を対象に2月21日、案内の際に役立ててもらおうと、同村宮城の「県立農林学校隊最期の碑」を瀬名波榮喜さん(88)が案内した。瀬名波さんは鉄血勤皇隊農林隊として戦争の前線に立たされ、多くの友人を亡くした。当時の様子や碑に込められた思いなどを説明した。

「県立農林学校隊最期の碑」の前で当時の様子を説明する瀬名波榮喜さん=2月21日、東村宮城

 碑は2014年6月23日に建立された。碑の対岸にある内福地地域で1945年4月28日に学徒らは米軍と交戦し、隊長1人を含む11人が命を落とした。瀬名波さんは無念さから一昨年、亡くなった学友10人の名前を調べ上げ、碑に刻銘した。土地は同村の又吉佳子さんが提供した。

 嘉手納町にある県立農林学校の跡地には別に「農林健児之塔」がある。しかし、若い学生が戦争に巻き込まれ犠牲になったことをより伝えるため、東村のこの地にある碑にはあえて「県立農林学校隊最期の碑」と「学校」の2文字を意識して入れた。瀬名波さんは約35人の参加者に「悲劇が繰り返されないように、若い人に伝えてもらっている」と話した。

 同じく隊員で2011年に他界した大城仁光さんの孫である東江あやかさん(23)=那覇市=が中学生の時、大城さんの話を基に書いた詩が碑に刻まれている。東江さんは「友の死を忘れない」と朗読した。