奄美の対馬丸碑、19日に竣工式 平良啓子さん「命の恩人の島」


この記事を書いた人 平良 正
「慰霊碑ができて本当にうれしい」と話す対馬丸の生存者、平良啓子さん=大宜味村喜如嘉

 1944年8月22日に米軍の魚雷攻撃で沈没した、疎開船「対馬丸」の慰霊碑が、奄美大島宇検村の船越(ふのし)海岸に建立され、19日に竣工(しゅんこう)式が開かれる。県内から生存者や遺族ら20人余が参加する。その一人、平良啓子さん(82)=大宜味村=は6日間の漂流の末、宇検村沖の無人島に漂着し、村民に助けられた。「今でも島の夢を見る。助けてもらい、今また、慰霊碑を造ってもらう。ありがたい」と話し、竣工式を待ち望んでいる。

 「(対馬丸に)複雑な思いがある」と話す平良さんは沈没で祖母、兄、いとこを亡くした。特に、漂流中に高波で離れ離れになった同じ年だったいとこの時子さんは、平良さんの後を追って疎開を決めた。「私だけ故郷に帰った。今も胸が痛む」

 平良さんは6日間、いかだで漂流。力尽きた人が一人また一人といなくなるのを見ていた。漂着した枝手久島(えだてくじま)で、宇検村民に発見され、手厚い救護を受けた。その後、奄美大島の古仁屋で偶然、同じ国頭村出身の男性に出会い、約半年間保護された。「奄美大島と聞くと『私を助けてくれた所だ。命の恩人の島だ』と思う」と話す。

 その島に慰霊碑が建つ。「うれしい。これで、犠牲になった人たちの魂が海からはい上がってこられるのかなと思う」とつぶやいた。「はい上がってきた魂は『二度と戦争を起こさないで』って叫んでいると思う」と話し、悲劇が二度と繰り返されないことを願った。(岩崎みどり)