「島の美容室」最後の営業 福田さん 渡名喜に9年通う


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 【渡名喜】美容室がなかった渡名喜村へ9年間通い、「島の美容室」を営業して村民のおしゃれに貢献し続けた福田隆俊さん(57)=茨城県=が21日、島で最後の営業を終えた。娘の出産を機に、志ある若い美容師へ引き継ぐことを決めた。22日朝、島を離れる福田さんを見送ろうと、港には多くの島民が訪れて別れを惜しんだ。

福田隆俊さん(左から2人目)に子どもの頃から髪を切ってもらっていた南風原立輝さん(左端)らも駆け付けた=21日、渡名喜村(福岡耕造さん撮影)

 茨城県で美容室を営む福田さんは2008年に初めて渡名喜村を訪れた。旅行中、親しくなった島の子どもたちの髪型が整っていないことに気付いた。本島からの日帰りが難しい渡名喜では、島民は髪を切りに泊まりがけで本島へ出向くか、自分で髪を切ったり、家族に髪を切ってもらったりする場合がほとんどだった。

 「髪型を直してあげたかった。必要性を強く感じた」。はさみを持って島を再訪し、髪を切ってあげると、とても喜ばれ開業を決めたという。

 翌09年、古い空き家を借りて店を開業した。以来、毎月欠かさず10日間島へ通い、営業を続けた。子どもからお年寄りまでの散髪やパーマはもちろん、理容の免許を生かして男性のひげそりも行う。利益は求めず、料金は茨城の店の約半分に抑えた。

 「美容師にとって上手に髪を切るのは当たり前のことで、正直こんなに喜ばれることはなかった。人に喜んでもらうことはサービス業の原点」とほほ笑む。14年、福田さんの仕事風景や島の人との交流を描いた「写真集 島の美容室」(ボーダーインク、写真・文=福岡耕造さん)が出版されると、一躍注目を集めるようにもなった。

 茨城の美容室で福田さんと共に美容師として働き、島での滞在中は美容室を任せていた長女が16年に出産した。これを機に茨城の店に専念して娘の育児の環境を整えようと、渡名喜の店を後進へ引き継ぐことを決めた。

 福田さんが初めて来島した時にフェリーで親しくなり、島で営業を始めるきっかけにもなった南風原立輝さん(19)も、高校進学で島を離れるまで福田さんに髪を切ってもらっていた。「福田さんとの思い出は、島でのかけがえのない大切な思い出になっている」と振り返る。

 福田さんは「島に通い営業することは容易なことではないが、志のある若者に快く道を譲りたい」と思いを語る。「長く滞在することは難しいかもしれないが、今後もなるべく島を訪れたい」と力を込めた。

島の美容室

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写真・文 福岡耕造
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