<沖縄戦後思想と実践の射程 高橋哲哉氏に答える>中 仲里効


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敗北の構造を内視
「全体責任」は無責任体制に

 8割の日本人の安保支持を前提にして基地を本土に引き取る運動のあり方を、「安保をもって安保体制をなくそうとする二段階改良主義にして体制内差別解消」であるとした私見に、高橋哲哉氏は大要次のように反論する。「安保をもって安保体制をなくすことはできない」は「もっともらしく聞こえるこのレトリック」であること、安保や基地や軍事力を「同時に、一度に、一挙に」解消する「一段階革命主義」(思想の純粋性を追求するあまりの「一挙革命主義」とも言う)であること、県外移設は認めず「沖縄の“いま”と“ここ”」において、やはり一度に安保や基地や軍事力の全解消を実現しようとするもので、対して基地引き取り論は、安保を容認する勢力も巻き込みながら段階的に軍事力や安保条約を解消していくとする。

 優先されるべきなのは「沖縄差別の解消」であり、そのために米軍駐留を政治的に選択してきた本土の責任で基地を引き取り、そのうえで「安保体制そのものの是非を問い直す突破口を拓(ひら)こうとするものである」という見取り図を描く。

二段階論の空隙

東京の日本武道館で開催された沖縄復帰式典=1972年5月15日

 この「引き取り論」の筋道は一見すると文句がつけようもないほど透明にみえる。しかし、沖縄の戦後経験や実践史への内在的な視点が見過ごされている弱点は否めない。言い直すと、沖縄が差別や不条理を解消しようとして陥った肝心要への批判的視点が抜け落ちているということであり、その陥穽(かんせい)を超克しない限り、つまり、沖縄における〈敗北の構造〉を潜(くぐ)っていないことにおいて「突破口」は空隙(くうげき)をさらすことになるだろう。

 なぜ沖縄は日本を祖国と幻想したのか、なぜ日本国民に進んで一体化することで米軍支配の不条理から解放されると思ったのか、そしてそのことがなぜ沖縄の日米共同管理体制を下支えすることに無防備だったのか。そこでもまずは「復帰」を優先し、その後日本国民とともに問題解決を図るという二段階論が「突破口」になっていた。だから足元の空隙に付け込まれたのだ。

 高橋氏が「レトリック」だと批判した「安保をもって安保体制をなくすことはできない」としたことについていま少し立ち止まってみたい。この一節は「天皇をもって天皇制を、原発をもって原発体制を、戦争をもって戦争体制をなくせないように」と連接されて言われている。「安保を必要とするならば」という仮言命法を梃子(てこ)にして応分の負担に接合する基地引き取り論の論理構造を、ウイングを広げることによって明らかにしていく意図があった。このことはたとえば、沖縄と福島を「犠牲のシステム」として捉え、それを解消するには、まず福島の原発を原発の恩恵を受けている地域で引き取り、平等に負担すべきだという主張の同工異曲以上のものではない。そしていまや圧倒的多数の天皇支持に浸された日本的精神を、そしてもしも戦争を容認する世論が大勢を占めたならば、高橋氏はやはり天皇制や戦争を引き受けるべきだというのだろうか。

数の政治へと疎外

 高橋氏が決めつけた「レトリック」「思想の純粋性」「一挙革命主義」を、国家の内と外の結び目を不断に問わざるを得ない沖縄の〈思想と実践のラディックス(根源)〉と置き直したらどうだろう。そしてそれは、差別解消を求めて陥った盲点を内側から越え出ることにかかわるとすれば。「沖縄差別解消を優先する」限りにおいて安保の賛否を問わず、左右を越える(小泉首相であれ、鳩山首相であれ、橋下大阪府知事・市長であれ、仲井眞知事であれ)という主張が変数を包括しているように見えて、その実、日々国家暴力と戒厳状況下にさらされている“抗(あらが)う沖縄”の原場とそこで生きられている自立と共生の思想を、機能主義的な数の政治へと疎外していくことにしかならないだろう。

 高橋氏は私が「思想」と「政治」を別物だと考えていると曲解し、基地の撤去や安保の廃棄や軍事力の解消は「政治」であるとして、その彼方(かなた)の政治目標に向かうには、「“いま”“ここ”に全てを賭けるだけではだめで、立ちふさがるハードルを一つ一つ粘り強く越えていかなければならない」と言う。

 ここでの「“いま”“ここ”に全てを賭けるだけではだめ」は、「沖縄への基地集中が『本土』全体の責任である」とか「沖縄問題は沖縄の問題ではなく日本の問題である」という趣旨の主張と対をなすものだが、しかし「全体責任」と基地引き取りによる「平等」や「応分の負担」の〈政治〉は、1億総責任論のような権力や地域や階級などの差異と審級を欠いた無責任体制に陥ることは避けられないだろう。

沖縄自身の問題

 沖縄問題は日本の問題である。黒人問題が黒人の問題ではなく白人の問題であり、反ユダヤ主義がユダヤ人の問題ではなくヨーロッパの問題であるように。だが、きびしく追言しなければならない。沖縄問題は日本の問題であるが、基地帝国アメリカの問題であり、それ以上に沖縄自身の問題である、と。そのとき“いま”と“ここ”が切実な磁場になると同時に、その時間性と空間性は重層化される。いまの“いま”だけではない。ここの“ここ”だけではない。沖縄の抵抗の歴史はいくつもの“いま”と“ここ”を不動と転位にして独自な言説と政治空間を創り上げてきた。

 必要なことは、沖縄の変わり目に反復された〈敗北の構造〉を内視する眼(め)である。その眼の奥において、目取真俊氏の掌編「希望」と状況の深部で出会い直すこともできよう。(映像批評家)

(2017年3月21日 琉球新報掲載)