遺族ら手合わせ不戦誓う 強制集団死のチビチリガマで慰霊祭


この記事を書いた人 松永 勝利
チビチリガマの中で手を合わせる与那覇徳市さん(手前左)ら遺族=1日午後1時すぎ、読谷村波平のチビチリガマ

 【読谷】1945年4月2日に住民80人以上が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村波平のチビチリガマで、1日午後、遺族会による慰霊祭が開かれた。遺族や関係者ら30人以上が集まり、ガマの中で手を合わせ、72年前に亡くなった人たちの冥福を祈り、不戦を誓った。
 遺族会の与那覇徳雄会長は「昨年は米軍属による女性暴行殺人事件などまたしても犠牲があり、子を持つ親として強い怒りを持っている。県民の尊厳と人権はいつまでたっても守られていない」と語気を強めた。「もう一度、しっかりと足元を見詰めて、二度と悲劇を起こしてはならない」と述べ、平和への決意を新たにした。
 ガマの入り口に「世代を結ぶ平和の像」を設置した彫刻家の金城実さん(78)=村儀間=は「辺野古や高江、宮古島の自衛隊配備の問題など、日本は戦争へ行く道に片足を突っ込んでしまっている。チビチリガマからよく見える道だ」と政府の姿勢を批判した。
 与那覇徳市さん(74)=村渡慶次=はガマの中で祭壇に向かい「このうちなー、ユンタンザ、チビチリガマから平和を願う」と手を合わせた。【琉球新報電子版】