『「沖縄県民」の起源』 二者択一的見方に転換迫る


社会
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『「沖縄県民」の起源』坂下雅一著 有信堂・8100円

 日本の一部なのか、あるいは日本と異なる独自な民族なのか。沖縄における「我々」とは一体何を意味するのか。それに唯一の答えを求めるのは難しい。その意味は常に多義的であり、歴史的にも変化してきたからである。坂下氏の新著は、沖縄で語られてきたこの「我々」認識の揺らぎを地政学的・制度的な文脈に留意しつつ、歴史社会学的な視点から分析した労作である。

 本書が主たる対象としているのは、戦争終結から島ぐるみ闘争が起きた1956年までである。この時期、アメリカ統治下において「自治」や「経済自立」が主張されるようになる。だが同時に日本への「復帰」も語られ、基地建設が強行される中、「祖国復帰」への要求が高揚するに至る。この経緯は一見すると、「琉球」(ないし「沖縄」)から「日本」へと主体が転換したように見える。だが本書は、そのような理解の仕方に疑問を投げ掛ける。

 沖縄の「我々」認識において、「琉球・沖縄」と「日本」とは、一方が他方に取って代われるようなトレードオフ的な関係にはない。そこには日本と沖縄(琉球)への帰属とが共に内包され、2つのカテゴリーが文脈に応じて組み合わされ、レトリカルに結びつけられることで「我々」が表現される。

 それが沖縄に特徴的な「沖縄型」のナショナル・アイデンティティの形であり、それを著者は「複合ヴィジョン」と特徴づける。それは「沖縄県民」というカテゴリーにおいて典型的に表れている。島ぐるみ闘争で抵抗の主体として登場したのが、この「沖縄県民」であった。

 本書の分析は、琉球(沖縄)か日本かの二者択一で捉えるのになれている一般的な見方に転換を迫るものである。この「複合」的なアイデンティティは、沖縄県設置以後、近代化の中で形成されたものと論じられる。しかし、それは沖縄にとってどれほど宿命的なものなのか。「単一ヴィジョン」へと(「琉球」であれ「日本」であれ)変化していく可能性はないのか。本書はそういう問題も読者に提起している。

 (佐藤成基・法政大学教授)

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 さかした・まさかず 1968年生まれ。NHK沖縄放送局記者などを経て一橋大学大学院博士後期課程修了。現在一橋大学特別研究員。

「沖縄県民」の起源: 戦後沖縄型ナショナル・アイデンティティの生成過程1945-1956
坂下 雅一
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