4・28「屈辱の日」(解説) 条約発効65年も呪縛解けぬまま


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 沖縄が日本から切り離された対日講和条約が発効してから28日で65年が経過した。日本は独立した一方で、沖縄と奄美、小笠原は米施政権下に置かれ、沖縄では沖縄戦からの米軍駐留が続いた。その中で沖縄の住民は自治権の獲得を強く希求してきた。だが日本の施政権に復帰してから45年がたった現在も、地元の反対を無視する形で名護市辺野古の新基地埋め立て工事が始まるなど沖縄の民意が顧みられない状態が続いている。

 対日講話条約の内容制定に向けた米政府内での検討のさなか、昭和天皇は1947年9月19日、側近の寺崎英成御用掛を通じ、連合国軍総司令部(GHQ)に対し「琉球や他の諸島を軍事占領し続けることを希望している」との意向を伝えた。

 寺崎氏と会談したGHQのシーボルト外交局長は、天皇メッセージについて「疑いもなく多分に私利に基づいた希望だ」と指摘した。国務省の沖縄に関する特別勧告書でもメッセージの重要性を指摘した。米国の“琉球処分”に少なからず影響を与えた。

 天皇が米政府側に送った「沖縄の長期占領」のメッセージ。結果的に講和条約で沖縄は切り離され、日米安保条約の枠外で軍事基地化が進められていった。

 日本に復帰した後も米軍専用施設の集中は大きく変化せず、米軍北部訓練場の部分返還の後も全国の7割が沖縄に存在する現状は変わっていない。天皇メッセージによる呪縛はいまだ解かれていない。(滝本匠)