地元のビールとして親しまれてきたオリオンビール(浦添市、嘉手苅義男社長)が、18日で創立60年の節目を迎える。沖縄戦の終結から12年、戦争で破壊された産業基盤の復興は十分でなく、日本本土と切り離された米施政権下で輸入依存の経済が強まる中で、一県一工場のビールメーカーは産声を上げた。地場製造業を代表する企業として競争の荒波をくぐり、県産品の海外輸出を先導するブランドとして世界市場を目指す。「三つ星」の60年と展望をまとめる。
<創業物語>市場開拓に苦心 社員総出、桜坂で人海戦術
1957年5月18日、沖縄産業界の四天王と称された具志堅宗精氏を創業者として、沖縄ビール株式会社が発足した。具志堅味噌醤油合弁会社(赤マルソウ)や琉球飼料などの会社を次々に設立し、沖縄の産業復興をけん引した具志堅氏。しかし、ビール製造業は巨大な投資が必要な上、沖縄の亜熱帯気候の暑さや水質では「設立と解散が一緒になる」と言われるほど困難な事業とされた。
具志堅氏は良質の水を求めて名護市への工場建設を決めた。麒麟麦酒(キリンビール)工場長の経歴を持つ坂口重治、沢田武治両氏といったビール醸造の権威が取締役工場長として創設期を助け、沖縄でのビール開発の立役者となった。
新製品の名称は県民に募り、2500通の応募の中から「オリオン」に決定した。会社創立から2年後の59年5月17日に、瓶詰めされたビールの全島一斉販売を迎えた。「世界に通用する普遍的な名称に」と、社名も商品と同じオリオンビールに改めた。
しかし、当初の売れ行きは厳しかった。「初年度の販売量797キロリットルは、今日の生産量からすると3日分程度でしかない。当時は1番がアメリカビール、2番はヤマトビール。島産品は『島グヮー』と呼ばれて二級品扱いだった」(嘉手苅義男社長)。
頼みの綱の輸入ビールに対する輸入規制も米民政府にほごにされた。さすがの具志堅氏も辞任を考えるほど窮地に陥ったが、持ち前の「なにくそやるぞ」の魂に火が付いた。背水の陣で臨んだのが、那覇市の桜坂社交街を舞台とした「人海戦術」だった。社員総出でキャバレーや料理店を一軒一軒訪問するローラー作戦で、昼間はオリオンを置いてもらうよう営業し、夜は数軒をはしごしながら客層や商品の提供状況を観察する市場開拓を図った。
「桜坂を制する者は那覇を制する。那覇を制する者は沖縄を制する」―。具志堅氏の言葉通り、オリオンの支持は急カーブを描く。63年には創立6周年の報恩値下げの効果もあり、県内消費量の83%を占める約9千キロリットルを売り上げ、大衆化をつかみ取っていった。
<復帰、アサヒ提携>競争激化で多角化 酒税軽減巡り議論続く
沖縄が日本市場に組み込まれる1972年の日本復帰は、オリオンビールにとって国内大手ビール会社との競争が激化する経営の転換期となった。
大手メーカーとの合併や系列下に入る話もあったというが「当社が選択したのは『沖縄地場産業の防衛』という独自の対応策であった」(「オリオンビール50年のあゆみ」)。こうした中、復帰に伴い経済的に急激な変化が生じないよう対処する国の復帰特別措置法に、地場製造業の存続への配慮も盛り込まれた。ビールは酒税の税率を6割軽減する措置が適用され、大手の製品に対する価格優位性が確保された。
また沖縄海洋博覧会開催による観光業の高まりを受け、74年5月に「ホテルオリオン」が本部町に、75年6月には西武流通グループとの共同出資による「ホテル西武オリオン」(現ホテルロイヤルオリオン)が那覇市に開業した。農園業や養殖業にも乗り出し、飲料分野以外に経営の多角化を図っていった。
一方で、5年の時限立法だった復帰特別措置は延長を重ねてきたものの、「激変緩和」の継続に疑問の声が常にあり、廃止を見据えた体制の構築が課題となってきた。90年代半ばには発泡酒の台頭で国内ビール業界は激しい低価格競争に突入し、2002年に期限を迎える酒税軽減の適用継続を巡っては、オリオンの経営基盤の強化が条件として国から求められた。
同年8月、当時の金城名輝社長は、アサヒビールとの間で包括的業務提携に合意した。アサヒはオリオンの発行済み株式の10%を取得し、アサヒの販売網で「オリオンドラフトビール」の全国販売を始めた。逆にオリオンはアサヒの「スーパードライ」などを名護工場でライセンス生産し、県内で販売。オリオンは技術力の強化による品質向上と全国販路の拡大につなげ、アサヒにとっても輸送費や酒税のコスト圧縮が図れるという、両社に成果をもたらす“対等”な関係を模索してきた。
結果的に酒税の軽減措置は16年末の税制改正で9度目の延長が認められたものの、期間は5年から2年に短縮され、逆風は強い。経営多角化では、14年7月に客室数238、約900人収容の大型ホテル「ホテルオリオンモトブリゾート&スパ」を本部町備瀬に開業するなど、新たな市場開拓を続けている。
<海外展開>16ヵ国・地域に出荷
オリオンビールは、海外にまでブランドが広く認知されているとして昨年4月に「知財功労賞」の経済産業大臣表彰、食品輸出の優良な取り組みとして今年4月に農林水産省「輸出に取り組む優良事業者表彰」の食料産業局長賞を相次いで受けた。
オリオンビールは現在、米国、台湾、韓国、香港、シンガポール、オーストラリア、ロシア、ブラジルなど16の国・地域に輸出している。沖縄を訪れた外国人観光客を通じて商品のリピーターが増えていることなどが海外出荷を押し上げている。
国内で見ればアサヒやキリン、サントリー、サッポロの上位4社との差は大きく、出荷数量でオリオンの市場シェアは1%に満たない。だが沖縄地区税関がまとめた2015年のビール輸出実績によると、日本全体のビール輸出(7万3770キロリットル、85億4979万円)に占める沖縄からの割合は数量で3・4%、金額で4・5%に上り、メーカーとしての規模以上にブランドの浸透度で存在感を放っている。
ビールが出来上がるまでを見学できる名護市のオリオンハッピーパークは年間14万人余が訪れ、うち7割が県外・国外客という観光施設になっている。さらに観光客のうち4割を台湾人客が占める。台湾はファミリーマート2600店に製品が並ぶなどオリオン最大の輸出先でもある。嘉手苅義男社長は「訪れた観光客が工場で安全・安心を見て、出来立てのおいしい味を覚える。ハッピーパークの貢献が大きい」と語る。