沖縄戦で損傷の十字架復元 首里教会 体験継承に活用へ


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 誠二
沖縄戦の戦闘で銃弾を受けて激しく損傷した状態のまま、復元した十字架を設置する関係者ら=21日、那覇市の首里教会

 沖縄戦で激戦地となった那覇市首里当蔵町で、戦前から続く日本キリスト教団・首里教会(代表・竹花和成牧師)は21日までに、戦時中の銃撃戦で激しく損傷した十字架を、当時の状態で復元した。教会信者や周辺住民らが見守る中、現在復元工事が進められている旧会堂塔屋の頂上へ同日、設置された。

 沖縄戦の悲劇を忘れないことや戦没者の慰霊のため、写真や証言を基に戦禍で傷ついた姿の十字架を復元した。戦争体験者の高齢化が進む中、証言に加えて場所やモノを通した戦争体験の継承に活用する構えだ。

 首里教会の旧会堂が建設されたのは1936年。45年には激しい地上戦が繰り広げられた。県公文書館の資料には、米軍が戦時下に撮影した首里教会の写真が複数存在する。写真の解説の一部には「首里城下にあるキリスト教会の塔状建物は、日本軍狙撃兵の根城となっていた」と記録されている。

 激しい銃撃戦で旧会堂は破壊され、十字架にも銃弾や砲弾の痕跡が数多く残った。戦後、焼け野原で景色が一変した一帯にあって、損傷しながらも残る首里教会の旧会堂の十字架は疎開先や出征先から戻ってきた人にとって首里だと実感できる地域のシンボルにもなっていた。

 85年に現在の会堂が建設され、戦時下をくぐり抜けた旧会堂を歴史の証言者として保存するべきだとの意見も出た。しかし破損の度合いから危険性が指摘されたため、旧会堂は解体し、十字架は撤去した。

 2008年、創立100周年を迎えた首里教会は記念事業を検討する中、旧会堂と十字架を復元する方針を固めた。十字架は弾痕が残る状態で再現すべきだとの意見が多く出た。

 これを受け、県公文書館などが所蔵する写真や幼少期から首里教会の隣に住む比嘉文子さん(81)ら数人の証言を基に、十字架の内部の鉄筋もむき出しの状態など、忠実に再現した。

 首里教会の創立100周年記念構築物(旧会堂塔屋復元)建築実行委員会で3代目の委員長を務めている宮里稔さん(70)は、再現した十字架設置を終え「ほっとした。戦争の愚かさを反省するための象徴になってほしい」と傷ついたまま残す意味を語った。

 十字架を設置した旧会堂部分は8月下旬に完成する予定となっている。