ミシンで支えた戦後の暮らし「小麦粉袋の糸でズボン作った」 沖縄・南風原文化センターが聞き取り


社会
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ゆんたくしながら、戦後のミシンを使った暮らしぶりを思い出す参加者ら=20日、南風原町立南風原文化センター

 【南風原】南風原町喜屋武の町立南風原文化センターは20日、戦後の織物業の復興やミシンで家族の生活を支えた女性たちの暮らしぶりを地域の人から聞き取る「ゆんたく会」を開いた。4月28日から5月21日まで同センターで開かれた企画展「暮らしを支えた女性たち~戦後復興した織物業とミシンの活躍~」の一環。町の戦後復興の詳細を復興の下支えをした女性たちとのゆんたく(おしゃべり)で探った。

 参加者からは、戦争で破壊されなかった織機や、壕から取り出したミシンを戦後直後に使用したという証言があった。小麦粉(メリケン粉)の袋をほどいて染めた糸を使い、ズボンを作って那覇市の新天地市場に売りに行ったという証言も出た。

 大城春子さん(83)は「縫い子を束ねる家から裁断された布を受け取り、ズボンやワンピースも作った。名護まで売りに行くこともあった」と話した。

 野原ヨシ子さん(82)は「戦後、壕から手回しのミシンを探してきたこともあった。高級ズボンを作るようになってからは、おしゃれな内ポケットを作るなど、自分たちで工夫しながら作っていた」と語った。

 企画展では、戦後カッパヤーズボンと呼ばれた硬い生地のズボンや、高級ズボン、丹前(たんぜん)などを作り、家の副収入にしていた女性たちの暮らしが明らかにされていた。町内外から多くの人が足を運んだ。