温厚な人柄、「生涯写真家」貫く 沖縄の写真家山田實さん死去


この記事を書いた人 Avatar photo 与那嶺 明彦
個展の内覧会に訪れた東松照明さん(左)と談笑する山田實さん=2012年9月、那覇市

 戦後沖縄の暮らしを丹念に撮影し、沖縄の写真界をけん引した写真家の山田實さん(98)が27日に他界したことを受け、生前に交流が深かった関係者らは深い悲しみに包まれた。温厚な人柄で写真界にとどまらず、幅広い交流があった山田さんとの別れを惜しんだ。

 約1カ月前の4月22日、写真家の豊里友行さん(40)が病室を訪れた際、病床の山田さんは体力が失われている中でも長男の勉さんに体を支えられながら起き上がり、自らコンパクトカメラを構え、豊里さんらを撮影したという。豊里さんは「必死に気力で生きていると感じた。生涯写真家だった。もっと必死に写真に対し向き合わないといけないなと思った」と明かした。

 山田さんは6月6日から那覇市民ギャラリーで始まる写真と彫刻の展示会で作品を出展する予定だった。一緒に出展する予定だった彫刻家の西村貞夫琉球大名誉教授(74)は「他のジャンルとの交流も幅広かった。(訃報は)残念だ」と声を落とした。

 山田さんより7歳年下で「かわいがっていただいた」と話す芥川賞作家の大城立裕さん(91)は「温かい人柄で誰にも尊敬された。戦時中はシベリア抑留で苦労された。その経験が戦後に人々への愛情につながり、写真の題材にも生かされているのだろう」と語り、別れを惜しんだ。

 2012年に山田さんの写真集が出版された際に解説を書いた写真家のタイラジュンさん(45)は「若い人が訪ねても気さくに話してくれて面倒見のいい方だった。世代を超えて沖縄の写真界をまとめてくれた」と振り返った。

 米統治下の1969年、山田さんは撮影で沖縄入りした故・東松照明さんの身元を引き受けた。東松さんの妻・泰子さんは「当時、東松にハラハラさせられたらしい。私が知らない時代の東松の話をよくしてくれて、その気遣いがとてもうれしかった」と感謝の思いを込めた。