『標的の島』 歴史は繰り返されるのか


社会
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『標的の島』「標的の島」編集委員会編 社会批評社・1836円

 2007年、日本島嶼学会与那国大会、「島と国境交流」をテーマに国境フォーラムが開かれた。当時、与那国町は台湾との国境交流特区構想を国へ申請していた。町側は構想を認めようとしない国を、「国境はもともとなかった。いつか船団を組んで、国境がいかに無能かを実践したい」(与那国町長/八重山毎日新聞)と批判していた。

 10年後、与那国に現れたのは国境を超える船団ではなく、陸上自衛隊であった。現在、琉球弧の島々に陸上自衛隊の配備増強が進んでいる。本書は石垣島、宮古島、奄美大島における自衛隊配備反対運動の記録である。反対運動は観光(石垣島)、「命の水」である地下水(宮古島)、世界自然遺産登録(奄美大島)などとリンクさせながら取り組まれているが、その基底には「軍隊と平和は共存できない」という共通の考えがある。

 本書によれば、自衛隊が想定しているのは、中国による先島占領を前提とした「島嶼奪回」作戦である。本書の表紙が、それを裏付けている。昨年11月、在沖海兵隊基地で行われた日米共同指揮所演習の写真。米軍指揮官が指し示すのは、宮古島を中心とした先島諸島である。先島が戦場となることが想定されているのだ。ビッグ・コミック誌でも、「島嶼奪回」作戦が進行中である(かわぐちかいじ「空母いぶき」)。元防衛大臣の小野寺五典衆院議員は、『正論』の16年2月号で「あまりにリアルで驚きました」と述べている。

 1873年(明治6年)に誕生したばかりの明治政府は、琉球藩(王府)に対して「久米」「宮古」「石垣」「入表(西表)」「与那国」に国旗を掲げるよう通達を出した。国境が明確でないと、「外国掠奪之憂」があるという理由からだ。翌年、それを無視するかのように、琉球から船団(進貢使)が中国に向かった。最後の進貢船となった。明治政府は台湾出兵(74年)、琉球処分(79年)を強行する。それは沖縄戦につながっていく。

 2018年は、明治政府誕生から150年。日本国は国境防衛の名の下、与那国島、石垣島、宮古島、奄美大島に自衛隊の旗を掲げようとしている。歴史はくり返されるのだろうか。(前利潔・日本島嶼学会会員)

標的の島: 自衛隊配備を拒む先島・奄美の島人
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