【キラリ大地で】アメリカ 県人会で歌三線披露 今日子・デナードさん


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沖縄芸能継承に注力

県人会や桜祭りで歌三線など沖縄芸能を披露している今日子・デナードさん(後列右)=2016年9月、米バージニア州

 毎年、ワシントンDC沖縄会のイベントで八重山古典民謡を披露し、観客を魅了しているのは今日子・デナードさん(42)=豊見城市出身。両親は共に石垣島出身だ。父親の安里長祐(ちょうゆう)さんが琉球芸能史研究会時代に新聞のコラム欄に芸能史に関する記事を掲載するなど、幼い時から古典民謡の曲が自然と聴こえてくる環境で育った。だが、多感な頃は古典民謡になじめず、兄弟の影響もあって洋楽ばかり聴いていた。

 中学2年生の時、父親の車中で偶然流れていた民謡が今日子さんの人生を変えることになった。その民謡は鳩間島出身の呉屋初美氏が歌う「月の美しゃ」。「呉屋先生の歌声に感動した。両親に懇願して、先生の所に稽古に通った」と振り返った。

 その後、八重山古典芸能研究所の大御所である当時80代の大浜安伴、大浜みね氏の弟子になる。高校3年までは安室流八重山民謡一筋で修練し、新人賞を取った。県立芸術大学邦楽科に進学し、在学中は沖縄古典を学んだ。宜野湾市の「飛衣羽衣カチャーシー大会」には、第1回大会から6年連続で出場。所属していたチームオアシスは今日子さんがリーダーの時、羽衣大賞を勝ち取った。

 大学卒業後は軍雇用員に憧れて、米軍基地内で仕事をすることに。そこで米海兵隊員だった夫のロンさんと出会い、2005年に結婚。ロンさんには10代の連れ子が2人いたが、寛容だった両親からは強い反対もなく、入籍後、バージニア州に引っ越した。

 まもなく男の子2人に恵まれる。海兵隊だったロンさんはアフガン、イラクへの長期赴任となり、1年に1度か2度しか戻って来られなかった。異国でシングルマザー状態を余儀なくさせられた今日子さんは育児、家事に忙殺され、さらに思春期真っただ中の義理の息子たちとの衝突で悩む時期を過ごした。

 結婚して12年。夫と一緒に暮らしたのは実質5年間ほどだ。渡米1年目は友人もなく、弱気になると沖縄にいる母親に電話した。「つらいのはあなただけじゃない」。厳しい美容師修行を経験した母親に叱咤(しった)激励されるとともに、その言葉に慰められた。

 持ち前の明るさと前向きな性分の今日子さんは、夫は不在だが、家族が平穏で衣食住が足りている日々、子どもたちの誕生日会で笑顔になれる、そんな小さな幸せをかみ締めながら困難を乗り切ろうとした。だが、戦地にいる夫と電話で話している時、電話の向こう側から爆発音が聴こえた時には心臓が締め付けられるほど心配になり、夫は生きて帰れるのだろうかと一人悶々(もんもん)とする日々も多かったという。

 帰還兵の中には、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症する人もいるが、夫は幸運なことにPTSDにもならずに帰還、5年前に退役した。その後は米政府の契約派遣職員として働き、昨年末に1年半のイラク赴任を終えて、帰国した。

 今日子さんは「夫は精神力が強く、客観的に物事が判断できる人。穏やかで優しい父親でもある」と語り、夫のロンさんに絶大な信頼を寄せている。

 県人会活動に積極的に参加し、桜祭りでは歌三線で出演したり、エイサーを演舞したりで米国での沖縄芸能継承にも一役買っている。息子たちは11歳、10歳になり、そして娘も6歳になった。義理の息子たちもすでに独立し、孫もできた。今日子さんは「今では義理の息子らも共に家族としての和を大切にしている。これからは自分のライフワークとして歌三線にも力を入れていきたい」と語った。(鈴木多美子通信員)