伊江米軍船爆発「風化させない」 生存者ら那覇で座談会


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伊江島で起きた米軍弾薬処理船爆発事故について学んだ座談会=17日、那覇市銘苅のなは市民活動支援センター

 1948年8月に102人が犠牲となった伊江島での米軍弾薬処理船(LCT)爆発事故に関する座談会が17日、那覇市銘苅のなは市民活動支援センターで開かれた。事故の生存者も登壇し、「(爆発で)人肉が葉っぱにくっ付いて散らばっていた」「空を焦がすような真っ黒い煙が上がった」などと証言。参加者からの質問は途絶えず、関心の高さをうかがわせた。

 事故は米国統治下の48年8月6日、LCTに爆弾を積む作業中に荷崩れを起こし、5千発の爆弾が船ごと爆発した。「波止場爆発事故」とも呼ばれ、負傷者も73人に上った。

 座談会では、生存者の1人で、爆発地点から2~3キロ離れた自宅にいた金城正子さん(75)=嘉手納町=もマイクを握った。爆発後、外に出ると、焼け焦げた死体を背負った人が何人も歩いていた。

 当時6歳だった金城さんは「8月6日といえば(原爆の日の)広島は沖縄の人にもよく知られているけど、伊江島の爆発事故は知られていない」と嘆き、「絶対に風化させてはいけない」と強調した。

 座談会は伊江島・米軍LCT爆発事故連絡会の主催で、約15人が参加した。