2007年の創設時からアシスタントコーチ(AC)、ヘッドコーチ(HC)として琉球ゴールデンキングスの指揮を執った伊佐勉さんが今年5月、退団した。bj時は4度の優勝を果たしたが、Bリーグ元年はチャンピオンシップに滑り込んだものの中盤は低空飛行の29勝31敗。高みを目指すキングスからの「クビは覚悟していた」と話す一方で、これを機に「キングス以外で自分を試してみたい」と、サンロッカーズ渋谷への移籍を決めた。47歳からの武者修行を選んだ思いを聞いた。(聞き手 嘉陽拓也)
―退団の反響は大きかった。
「クビは覚悟していた。今年は自分でも満足いかなかった。常に高みを目指すクラブとしても自分の評価はしっくりいかなかったと思う。bj時代は年間10敗程度で、Bリーグでは31敗と3年分負けた。チャンピオンシップに滑り込んだが、ベスト4と力の差は大きかった」
―バスケ人生で最大の転換期か。
「2007年にキングスACに就任した時が一番。コーチとしてどこまでできるか。自信はないが経験を生かせると思った」
「HC就任後は全く違う世界。重圧が違う。考える事も多く全て自分で決める責任がある。AC時代にHCに対してどれだけ仕事ができていたのかと思った」
―キングスに在籍中、ファンの反応をどうみたか。
「勝ったら喜ぶし、負けても変なことを言わない。AC時はそれを見ていたがHCの時はその余裕がなかった」
―試合の日は常に硬い表情だった。
「起きてる間はバスケの事を考え、娘と過ごす時間も頭の片隅にバスケがあった。HCとなった後は眠りが浅く、早めに起きてしまった時は相手チームのビデオを見ていた。お酒を飲む事も増えたが結局ビール一缶も飲みきれない時もあって。やっぱりストレスはあったかなあ」
「仕事は何でも大変。同じ大変なら好きなバスケがいい。今が一番いいと思うなら悩むなよ、と自問自答は多かった。自分で言うのもなんですが根がまじめで。石橋をたたいて渡るタイプです」
―サンロッカーズ渋谷に決まるまでのいきさつは。
「退団後は、沖縄から出ようと思い、元キングスHCの桶谷大さんや遠山向人さんらに『むーさんは沖縄から出るらしい。ACもやるらしいよ』と、話を広めてもらったら、ばっと話が来た。B1から4チーム、B2から2チームぐらい。HCの提案もあったが、キングスでHCを4年やった今だからこそ、渋谷のACを選んだ」
―武者修行か。
「HCを経験した上でACをやるのでは考え方が違う。いずれまたHCをやるための準備です」
―そして渋谷を選んだ。
「僕を一番必要としてくれた。監督の考え方も『共にチームの文化をつくりたい』という思いも合致した。歴史あるチームに何かしらお手伝いできるかなと」
―ウチナーンチュ魂を渋谷でどう生かすか。郷にいては郷に従え、となるか。
「歴史あるチームの中で、慎重にでも自分を出していかないと僕が行く意味がない。沖縄のチームでできたことが、渋谷という大きなチームでできないことはないと思う」
―開幕戦でキングスと対戦する。
「もちろん勝ちにいく。キングスファンを敵にすると、どれだけすごいのか考えるとワクワクする」
「見応えがあると思うので渋谷のファンも見に来てほしい。山内盛久も渋谷に行くので渋谷のファンも増えるかな」
―渋谷がいる東地区は強豪クラブがひしめく。
「渋谷のACを選んだ理由の一つでもある。簡単に勝てないからACの仕事も増えるので」
―先ほど「いずれHCになるため」と話したが、理想のHCとは。
「勝ち負けはその時々。どんな時でもやるべき事を心から信じ切れるチームをつくりたい」
―沖縄に戻って来るか。
「戻って来ますよ。ウチナーンチュなんで。成長した時にキングスに呼んでもらえるよう頑張る。県外でもまれて見えた事を沖縄に還元したい」
―沖縄というキーワードはやっぱり外せないと。
「こんな顔しているので。沖縄は好きです。大きなことを言えば沖縄に何かを残したい。学生がもっとバスケがうまくなれるお手伝いもできたらいいなと」
―渋谷での活躍を期待している。
「新聞のネタになるよう頑張りますよ。渋谷も広めてくださいね」