突如爆音、同僚の体切断 【証言】1959年 那覇・核誤射


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整備を担当していたナイキ・ハーキュリーズのそばに立つロバート・レプキー氏=1958年ごろ、米軍那覇飛行場(本人提供)

 58年前の6月19日。金曜の晴れた朝に、核弾頭を装着した地対空ミサイル、ナイキ・ハーキュリーズの誤射事故は起こった。緊急事態の指令の下、ある兵士が点火装置の接続に失敗し、ブースターが誤って点火。ごう音を響かせてミサイルは水平に発射され、ものすごいスピードで海に落ちた。体が切断され、血だらけの兵士、海中に沈んでいくミサイルの破片―。元陸軍整備兵、ロバート・レプキー氏(81)の証言で、沖縄県民に知らされることのなかった基地内の惨事が明らかになった。

◇核誤射「戦争」指令で 1959年の那覇基地ミサイル事故 元整備兵が本紙に証言

 

 レプキー氏によると、那覇のナイキ基地には、東シナ海に面して2台の発射台が備えられ、少なくとも4発のミサイルが常備されていた。発射台周辺はフェンスや擁壁、丘に囲まれ、「外からは見えない場所だった」と話す。

 事故当日、レプキー氏が点火装置の接続を計測器でチェックすると、異常を知らせる小さな音がした。「接続しない方がいい」。別の兵士に伝え、発射台の前を横切り、別の機械を取りに行こうと階段を下りるその瞬間、耳をつんざくごう音が響いた。一瞬のうちに頭上を花火のような青い炎が飛んでいった気がした。

 海の方を見ると、ミサイルは海中に落下。発射台近くに、レプキー氏が「接続しない方がいい」と伝えた兵士が吹き飛ばされ、体は半分に切断されていた。「何かを言おうとしているように口を動かしていたが、既に死んでいる状態だったと思う」

 ブースターの炎でやけどを負った兵士、フェンスに吹き飛ばされた兵士。救急作業が行われる傍ら、高性能爆薬を搭載したもう1基のミサイルが運ばれ、発射準備が行われるその時、これは訓練であり「待機せよ」との指令が流れた。

 同僚の多くが亡くなり「事故のことを知っているのは、私だけかもしれない。知っていることは全て話したいと思った」と語るレプキー氏。当時の経験を通して、沖縄の人々に伝えたいことはあるかと聞くと、「ミサイルは侵略のためではなく、防衛のための配備だった。沖縄の人々を、私たちの権益を守るためだった」と語った。
(座波幸代ワシントン特派員)

英文へ→Former US soldier details account of 1959 Naha accidental nuke firing fatal to fellow soldiers