「辺野古 基地いるのか」 久間元防衛相、軍事技術進展理由に


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 米軍普天間飛行場返還を巡り、SACO最終報告やキャンプ・シュワブ沿岸部案の合意時に防衛庁長官を務めた久間章生元防衛相が8日までに琉球新報のインタビューに応じ「辺野古でも普天間でもそういう所に基地がいるのか。いらないのか」と必要性を疑問視した。軍事技術の進展などから現状での基地の存在について疑問を呈したものだが、新基地建設を推進してきた当事者として極めて異例の発言となった。

久間章生元防衛相

 普天間飛行場移設を巡っては、これまでも森本敏防衛相(当時)が2012年に「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適地だ」と述べるなど、閣僚から「政治的な理由」で沖縄に基地を押し付ける発言が展開されてきた。久間氏の発言は補強する格好で、波紋を広げそうだ。

 久間氏は軍事技術が向上しており、ミサイル防衛態勢の強化や無人攻撃機といった防衛装備品も進歩しているとして「辺野古でも普天間でもそういう所に基地がいるのか。いらないのか。そういう議論をしなくても安保は昔と違ってきている」と指摘した。その上で「あんな広い飛行場もいらない」と面積の大きい飛行場建設も疑問視した。

 同時に自主防衛能力が高まっている現状を念頭に日米安保条約は「役割から中身まで考える時機に来ている」と指摘し、再考する必要性を示した。日米地位協定についても改定すべきと主張した。

 在沖海兵隊の存在についても異議を唱えながら「人質だと思えばいい。人質だと思えば気が軽い」などと語り、一定の人員が駐留すべきとの持論も展開した。辺野古新基地の現行計画にも理解を示した。

 一方、辺野古新基地について埋め立て方式に決まった理由について、外部からの攻撃を想定し「防衛庁(現・防衛省)で検討した」と証言した。

 当時の橋本龍太郎首相は撤去可能なメガフロート案を検討していたが、防衛省が基地を固定化する案を提示していたことになる。

 久間氏は1996年11月~98年7月、06年9月~07年1月に防衛庁長官、07年1月~同年7月まで初代の防衛相を務めた。